CCCを振り返る その2 | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

4月に、日本最大級のトレイルランニングレース、UTMF(ウルトラトレイルマウントフジ)の出場を果たし、6月には、奥信濃100に出て、CCCまでに、いくつかのレースを経験することで、経験値を積み上げておく計画をたてながら進んでいたが、7月に入り、大幅な狂いを生じることになった。

 

7月に入り、新型コロナウイルスに感染してしまったのだ。

7月の10日に、地元で開催される60キロのトレイルに出場しようとする朝、どうも体調がおかしい。

 

その前の晩から、なんとなく寝つきが悪く夜中に何度か目が覚めてしまう。

緊張から来るものなのかとも思ったが、朝になってどんどんと体の悪化を感じた。

 

体温計ではかる。38度5分ぐらいはあったと思う。

 

少々体温が高いことはときどきあるが、さすがに38度越えは、自分にとっては正常範囲を超えている。

もしや…

 

レースに出ることを諦め、おとなしく家で寝ることにしたが、これだけの高温…

まさかとは思いつつ、仕事ででかけてしまった妻に変わり、近所で暮らす母に、薬局で、抗体検査キットを買ってきてもらうことにした。

 

さっそく試す。

 

陽性…

 

何事もないことを祈っていたが、陽性反応が出てしまった以上、国の方針にしたがって、行動するしかあるまい。

 

保健所に連絡をとり、その指示に従い、病院での正式なコロナウイルスの検査を予約し、検査を再度行った。

 

やはり陽性。

10日間の隔離生活がはじまった。

 

幸い、我が家は2階にもトイレがあり、私はトイレと部屋の3メートルだけを行き来する生活になった。家族からは風呂に入ることも許されず、ひたすら部屋にこもりきりになった。

 

熱は翌日には下がった。

3度目のワクチンを3月に摂取していたのが、幸いしたのかもしれない。

 

いわゆる第7派の最初の方の感染者ということになるのだろう。

現在(2022年11月)国が要請する隔離期間は短くなったが、まだこのころは、当初通りの10日間であり、また世間のコロナウイルス感染者への見方は相当にきつい時期で、もうひたすら家にこもりきりになるしかなかった。

 

病に侵されて、体の不調を感じる以上に、部屋で閉じこもった生活をするという生活の方がしんどかった。

 

家にいる間は、社員の協力もあって、リモートである程度の仕事をこなすことができたが、なにぶん病人の身であるし、熱は下がったとはいってもやはりしばらくは体がだるい感じもあって、その間は、体を動かすことできなかった。

 

たかが10日間なのだが、やはりその影響は大きく、かなり体力を落としてしまった。

 

ヨーロッパへの出発1ヶ月前、大きく落としてしまった体力。

 

CCCに向けて、とにかくできるところまで体力を回復させるしかなかった。