UTMBは、メインレースであるモンブラン山麓を1周するレースのほかに
CCC(Courmayour-Chanpex-Chamonix) 101.1km
累積標高差6,092m 制限時間26時間30分
OCC(Orsieres - Champex - Chamonix) 52.4km
累積標高差3,322m 制限時間14時間
PTL (La Petite Trotte a Leon) 300km
累積標高差25,000m以上 制限時間152時間30分
TDS(Sur Les Traces des Ducs de Savoie)
119.1km 累積標高差7,338m 制限時間33時間
といったレースの集合体になっていて、UTMBのフィニッシュをクライマックスとする約1週間、シャモニーはトレイルランニング一色になる。
ちょうど、この日は、OCCレースをやっている最中で、選手が次々とゴールに飛び込んでくる姿が見えた。

家族や関係者、そしてこれからレースを迎える人、終えた人、またトレイル関係者とはまったく無縁の単にバカンスをシャモニーで過ごしたい人などなどさまざまだろうが、とにかく人でごったがえすまさにトレイルランニングのお祭りなのだ。
ちなみに、この時期ヨーロッパでは、マスク着用義務はすでに解かれていた。
写真には納めなかったのだが、今日のメインは受付を済ませることだ。
日本でも多くのレースがそうなのだが、受付はだいたいレース本番の前日であり、このUTMBシリーズも御多分に漏れず、前日受付。
選手は、ほぼ、宿泊をしなくてならないわけだが、いかに地元にお金をおとしてもらうかというのが、かなり重要であることには、変わりない。
ホテルの前
ちょうど、Argentièreは、エイドの場所になっていて、選手たちがひっきりなしに通過していった。この日の日中はかなり気温もあがっていて、汗だくなって走っていた。
選手は、トレイルランニング専用のリュックを背負って、水分、食料、あるいは雨具、ヘッドランプなどを背負って走っているのだが、背中に、その人の出身国がわかるように国旗のビブをつけるようになっていて、さまざまな国の選手をみることができる。
通りかかったときには、日本人にすれ違うことはなかったが、おそらく日本からもそれなりに参加をしているのだろう。
日はまだ高いが、時間はおよそ17時。
明日のレースに備え、応援もそこそこに、会場を離れホテルに戻った。
明日レースを控える身としては、消化のよい食事にしたかったので、翌朝の分の朝食も含めグロサリーストアに行って、食料を調達して、早めに寝ることにした。
8月26日朝
5時に起床しようと思っていたが、やはり緊張や、興奮もあってかあまり寝付けなかった。
身支度を整え、ホテルを出発。
スタートは、イタリアのクールマイユール。
バスで約1時間乗車しなくてはならない。
モンブランの直下に、10キロ以上のトンネルがあり、そこを通ってイタリアに向かう。
バスを待っているところに、マレーシア人の夫婦GOHさんに話しかけられ、しばし会話を楽しんだ。
ちょうどArgentièreのバス邸には20名ぐらいの選手が待っていたが、みんなやはり緊張していたのか、沈黙が続くところの陽気なGOHさんとの会話は、緊張がほぐれた。
8時すぎ、クールマイユールに到着。
すでに何千人もの選手たちでごった返していた。 

スタート付近、選手のほかに応援の家族たちが大勢待ち構えていた。

9時ちょうどに第1陣がスタートしていった。
CCCは、ウェーブスタート(選手を何組かに分けて、時間差でスタートさせていく)だったので、目の前を選手が走り抜けていった。
私は、2組目だった。
長丁場のレース、スタートで勢い勇んででていっても、体力を消耗するだけだから、後ろの方に並ぼうと思っていたら、役員の人に
『お前のレースナンバーは、2組目だから早くならべ』
せっつかされて、スタートについた。
9時20分レース開始。
案の定、スタート直後は選手でごったがえし、大渋滞となった。
10時過ぎ
クールマイユールの集落を抜け、いよいよ山岳ポイントにはいってくるところ。
このあたりから道はシングルトラックになっているので、大渋滞ができていたが、あせらず、ゆっくりみんなの行動に沿って動いた。
トレイルランニングのコース図には平面図のほかに、縦断図がついている。
むしろ、平面図は必要ないぐらい、それぐらい縦断図を理解しておくことは重要だ。
CCCでは、クールマイユールからスタートしての一つ目のピークまでがもっとも傾斜がきつく距離があるようだった。
なので、なおさら、ここはオーバーペースにならないように心がけた。
ほとんどの選手が、折り畳みポールを持参していて、持っていないのは私一人ぐらいだったのではないか…ぐらいポール使用率がたかかったが、それも納得した。
これまで経験したことがない傾斜とそれが延々と続く1登となった。