広域行政による弊害 | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

平成の大合併によって、全国のほとんどの市町は少なからず合併をした。
合併の最大の狙いは、規模のメリットによる合理化をすすめ、増大する市町の費用を少なくするということだっと理解しているが、それによっておきた弊害は、合理化をすすめるメリットをももしかしたら上回っているかもしれないと考えている。

それは、自らが考え、行動するということを、多くの人が諦めたり、考えなくしなくなったことだ。

『自治』という名前のとおり、本来、まちづくりというものは、行政だけがやるものではなく、地域住民の一人一人にもその役割や責任というものがある。

例えば、地方創生の模範となる地域は、平成の大合併でも、それに背を向け、その後も自分たちの町を残していったところが多い。

そこに共有するのは、自分たちの町は自分たちで何とかしなければ、この先はたちいかなくなるかもしれないという強烈な危機意識だ。

もちろん、そういったところも、国の助成などが一切ないということはない。
しかし、そのお金は、絶対に何倍もの効果をあげようという意思は半端ないし、そこに住む一人一人が考え、行動する量がとにかく半端ないのだ。

大きくなれば、自分たちの市町の規模は大きくなっていき、また、エリアが広くなることによって我が町の意識は醸成されにくくなってくる。

議員の先生にお願いする。首長に任せっきり。
首長は選ばれたリーダーで、多くの市民より優秀であることは確かだ。

しかし、一人でできることはたかが知れてるし、首長一人が考えることも常に正解とは限らない。
議会制民主主義という合理的な民主主義の仕組みもそれが万能というわけはないのだ。

地域の課題は山積みだ。そして、世の中は目まぐるしく変化し、課題はさらに積みあがるばかりだ。
それを解決するのは、結局のところ市民一人ひとりなのだ。