数日前に、会社宛に沖永良部島から、じゃがいもが届いた。
送り先の住所を見て、すぐになぜ届いたのかピンときた。
2月のはじめに、兎和野高原の所長から雪の積込に協力してくれないかと連絡があったときのさらに元の依頼者が、沖永良部の人だったので、送り主がその方であることはすぐに分かった。
コロナ禍で子どもたちが遊ぶこともままならないので、元気づけようと、雪を輸送することになり、その積込を手伝ったからだった。
私は、そのときの発案者である新納運送店の竹島さんという鹿児島の方と名刺交換をしていたので、すぐにそちらにお礼の電話を入れた。
竹島さんは電話越しに、子どもたちがとても喜んでくれたので、そのお礼に地元でじゃがいもが収穫できたので、送りましたと本人もとてもうれしそうに電話をしてくれた。
『雪の積込の様子』
実は、雪の積込のころ、年度末の仕事を控えて社員はとても忙しく、また会社で請け負っている路線の除雪で連日、早朝から除雪に出るような状況なので、あまり気がすすまなかったのは事実だ。
私に直接依頼をしてきたのは、兎和野高原の所長さんだったのだが、実は、ちがう会社に最初依頼をしたが、断られたのだという。
兎和野の所長さんは、昔から知っている方だったので、どうにも断れなかった…というのが本音だ。
写真のように、たくさんのメディアが来てそのときの様子はテレビでも、新聞でも取り上げられたので、ひょっとしたら拝見した人もいたのではないかと思う。
しかし、もうおよそ1ヶ月前のことで、自分の記憶も薄らいでいたころに来たじゃがいもで、しかも電話越しに、とてもうれしそうに語る竹島さんの声を聞いて、島の子どもたちの喜びに貢献できたのだったらよかったなぁとしみじみ思った。
いただいたじゃがいもは、社員全員で分けた。みんなでわけたので、一人分はわずかで、私も数個だけ受け取った。
沖永良部島の竹島さんから送られたジャガイモをみて、経済っていうのは実はこのジャガイモに込められた気持ちと一緒なんだと改めて思った。
今は、貨幣経済が中心で、人のために役立てばその対価として金銭を受け取る。
しかし、受け取る側も渡す側も実は、そこにはさまざまな感情が載っかっている。
だけれど、残念ながら、お金というものはそういうものを見えにくくしてしまう性質がある。
でも本当はそうではない。
私が受け取ったじゃがいもは、お店で買えば数百円の品物だったかもしれないけど、そこに込められた気持ちはものすごく重いものだ。
単なるジャガイモではないんだ…社員の中にはそういういきさつをしらないものもいたので、そういうストーリーも添えて渡すようにした。
そうすれば、ジャガイモもとてもありがたいものになるはずだ。
考えてみれば、私たちの仕事はみんな尊いものだ。会社であれば、仕事をして、その感謝の気持ちとしてお金を受け取り、それを給与という形でみんなに分配する。
誰かのありがとうがあり、それを受け取り、そして会社はまたその気持ちを社員にありがとうという形で分配をする。
今日の晩御飯のジャガイモは心していただきたいと思う。