秋田の山の上で泣けてきた訳 | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

一昨年に引き続き、冬季スキー国体の兵庫チームのスタッフとして帯同した。

 

兵庫のエース一ノ本智毅選手が、見事6位に入賞してくれて、兵庫県としては、何年振りになるだろうか、天皇杯での得点となり、関わった自分としても、とても感慨深いものになったのだが、実は、それと同様に私にとって感慨深いもう一つの出来事があった。

 

それは、田邊監督が、国体でのセッターとして、成年男子C組のセッターの役割を務めてくれたことだった。

 

 

ツイッターにもコメントしたが、今思い出してもなんか泣けてくる…そんな出来事だった。

 

先日、北京オリンピックが開催されたこともあり、スキーのアルペン競技はおぼろげにでも理解してもらえていると思うが、まったくスキー競技に関係のない人にも、なぜこのことが特別なことなのかを少し説明をしたい。

 

アルペンスキーは斜面を滑り降り、その速さを競う競技である。赤、青の旗が斜面にたっていて、そこを右に左に滑り降りる。

 

あの旗門は、実は毎回その構成(セットと呼んでいる)が異なっている。

 

セッターと呼ばれる役割の人が、レースごとにその旗を斜面に立てる。

一定のルールはあるが、そのルールの中であればどのような構成にするかは、セッターの自由になっている。

 

そのセッターはレースごとに指名されるのだが、今回の国体で初めて兵庫県の田邊監督が指名されたのだ。

 

スキー競技は、北海道、東北、甲信越が圧倒的に強いとされてきた。

雪の上で滑る競技ということで、地理的なハンディが出やすい競技であるからだ。

 

私が住むハチ北エリアに代表されるように、関西圏では、ある程度の知名度を持っているが、東日本においては、兵庫県にスキー場があることすら知られておらず、パワーバランスで言うと圧倒的に弱い地域とされてきていて、これまでセッターは先に述べた東日本の特定の地域の人に限定されていたのだ。

 

一ノ本選手の活躍にもあるように、兵庫でも上位を狙える人材が出てきていて、兵庫県もそういった東日本の列強にもチームとして伍していけるようになり、近隣府県の推薦もあって、田邊監督が抜擢されたのである。

 

田邊監督は、地元のハチ北の後輩で、今は、村岡高校スキー部の顧問を務め、兵庫県の競技部では中心的な存在になってくれている人財で彼がセットをするのはむしろ当然とも言える。

 

しかし、それだけで、国体のセッターの任務は全うできない。セットをするには、セッター以外にも旗門を持つ人、距離を測る人など、4~5名は必要だ。もちろん、地元の大会役員も手伝ってはくれるものの、今回、滋賀、京都、大阪、鳥取のコーチもそのセットに協力してくれた。

 

みんなそれぞれに地元の代表選手を抱えているので、レース前はその人たちのサポートで忙しいのだが、その時間を、田邊監督の晴れ舞台であるセットの手伝いをしてくれて、全力で応援してくれたのだ。

 

強豪とされる都道府県のコーチには、西日本の府県を小ばかにしている人も少なからずいる。

『兵庫の人間はスキーなんてわかってねーだろ』

 

実際、過去に、インターハイや全国中学などのセッターを務めた西日本のとある県コーチはそういう批判を受けたこともあったそうだ。

そのような雰囲気の中でセットをするのは、精神的にもタフでなければ務まらない。

 

今回も実は、セットをし始めて直後、そういう文句が直接耳に入ってきた。彼はそれが聞こえたのかどうかは定かではないが、それを意にも介せず、セッターとしての職務を全うした。堂々とセットをする姿がまぶしすぎて、本当に涙が出てしまった。

 

あとで田邊先生にも感想を聞いたが、自分の思い通りのセットができたと満足そうに話してくれた。

彼自身がコーチとして積み上げてきた実績もさることながら、兵庫県の選手や、過去の先輩たちがコツコツと積み上げてきた実績。そして近隣のコーチたちの協力、そういうさまざまなものが絡み合ってのセッターとしての田邊先生の雄姿に、しみじみ思いいたったというわけである。

 

そうは言いながらもまだまだ兵庫はスキー競技では、全国の中心になるまでには至っていない。

関係者一体となって、全国大会の舞台で、兵庫のコーチがどんどんセットが立てられるようになるように、私自身も努力を積み上げていきたい。