先日、2年目を迎えた田んぼの収穫を終え、今朝、籾摺りを行い、ようやく新米を手に入れた。
うちには、籾摺りの機械がないので、地元のN氏の機械をお借りて作業を行った。
作業をN氏に手伝ってもらいながら、彼がぽつりとつぶやいた。
「あと、5年もすると、このあたりの田んぼはどうなっちゃうんだろうね…」
そんな投げかけがあって、うちの村で稲作をしている人を頭に描いていると、あることに気づいた。
うちの村で、田んぼをやっている最年少が45歳だということだった。
その次が、49歳、54歳…若い人で稲作を誰もやっていないという事実。
私の村は典型的な中山間地にあり、小さくしかも、法面が広いので、草刈の量も膨大だ。
自分のところで食べる米ぐらいは自分で作ろう…というのが、このあたりの百姓のモチベーションで、それで稼ごうという人はほとんどいない。私も、自分で米作りをし始めて分かったのは、ビジネスとしてのコメ作りでは、驚くほどもうからないということだ。(もちろん、知恵や工夫で儲けている農家もいるのだが、この地域ではそれは本当にわずかだ)
だから、普通に考えれば、今作っている人が引退すれば、その場所を引きつぐのは、自分の家族ということになるが、それを引き継げる人がどれだけいるかというと、儲からないのに子どもが引き継ぐということにはなっておらず、それを近所の人が補ってくれることもない。5年後の姿は、今のままでいけば、耕作放棄地だらけになり、極端な話、この村から農業がなくなってしまうかもしれない…
そんなふうに想像してしまった。
実はその前日、中田敦彦のyoutube大学で、『google式仕事術「やらないことリスト」』編を夜な夜なみていた。
中田氏はyoutubeの中で、成功するためには、「やらなければならない」ことをとにかく減らせ…とその著書を引用して語っていた。
おそらく、それは真実だろう。
では、この村でがんばることなく続けることができるのか…つまりは、自分の気持ちを奮い立たせることなしに、この景観を守り、この地で暮らしていけるのか…
そんなことが頭をもたげた。
googleといえば、世界で最も株式時価評価の高い企業の一つであり、世界の最先端を走っているところであることは周知の事実だ。
そういうところは確かに、やらないことを決め、最も価値があると思われることだけに集中しなければ、競争優位を保てない。
しかし、それが、この辺境の地にまったく当てはまるのか…というとそれは違うと思う。
ローカルの経済、文化というのは、ある意味その対極にある場所だと思う。
むしろ、やらなければならないことだらけだ。
草刈りや田んぼの維持などは、やらなくてもいいのであれば、やりたくないと多くの人は思っているだろう。
やりたくないことを受け入れつつ、その中から喜びや楽しみを見出して、地域を回す…そういうことなんだと思う。
日本の多くの地域は、危機に瀕している。
地域が滅びれば、いずれ国は亡びるだろう。東京や大阪だけの都市部だけで世の中が回るつづけることはない。
世界の中心とはまた異なった世界観をもちながら、もう一つ高い何かをみつけなくはならない気がする。