防災 | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

先日、私の住む兎塚(うづか)地区で、避難指示が発令された。

私の認識では、この地域で避難指示が出されたのは初めてではなかったかと思う。

 

私はyahooの天気予報をよく利用していて、雨雲レーダーの画面や、天気図は天気予報を同時に確認するようにしている。

yahooの天気予報では、位置情報と連動していて、私の地元は香美町として表示される。

もちろん、それは間違いはないのだが、香美町は南北に約40キロと広く、香美町とは言っても、最も南部に私の住むハチ北は位置しているので、数キロ行けば養父市になる。

だから私は、通常天気予報は、香美町と養父市の両方を確認し、そしてなおかつ雨雲レーダー、天気図などから、最終的に自分自身の経験や勘も総動員しながら天気を予測している。あの天気予報だけを鵜呑みにはできないのだ。

 

さて、避難指示がだされた当日、ときおり雨雲レーダーを見ていると線状降水帯というやつだろう、真っ赤(極度の降雨)に表示された雨雲が、島根あたりから鳥取にかけて分布し、その雨雲が東に移動しながら、ちょうど山を越えて私たちの住むハチ北周辺にもときおりさしかかるようになっていた。

 

だから、このあたりにかなり激しい雨が降ることは自分でも想像できた。

実際、時折、バケツをひっくり返したような雨が降り、普段ほとんど水のない谷筋からどっと水が流れていることもあった。

 

なので、おそらく避難指示を発令した行政などもそういったデータをもとにした判断だったのだろう。

 

では実際に、それによって行動をうつした人がいたのかというとそれはほとんどなかった。

なぜなら、その日ある団体の総会が開催され、みんなそこにいたし、何より、その総会会場が避難場所に指定されてる公民館だったのだ。

 

私たちが、実際に危険な状況にあったのは間違いはないのだが、私たちが住むハチ北は山間にある集落でもあるため、そのほとんどが、土砂災害警戒区域に指定されて、皮肉なことに、避難場所とされている地区の公民館も土砂災害警戒区域内だ。

 

私の認識では、公民館は安全を担保される場所ではないのだ。


ハチ北の多くの家は民宿旅館をやっていて、鉄骨3F、4F建ての建物がざらにあるので、土砂災害からの一次被害をさけるのであれば、外から直接土砂の被害を受けるであろう1階を避けて上階に逃げ込むのが最も安全な方法だと私は思っている。

 

それが正しいかどうかは専門家の判断を仰ぎたいところだが、どうすれば安全なのかということをしっかりと認識し、本当に必要な手段を講じていくべきだと私は思っている。

 

今回、行政の避難に対する情報の伝達も変更され『避難勧告』という言葉は使わなくなったと聞く。またレベル1~5までの重要度で表示するようにもなった。

 

私の村でそれが何を意味しているのかということを理解していた人はほとんどいないだろう。私も実際よくわかってはいない。

 

今後いつどのような災害に見舞われるかは誰にもわからない。

 

今回の避難指示によって、われわれはどう行動したのか…


世の中の防災意識は確実に高まっているが、まだまだ他力本願的だ。


自分の命は自分で守るのが原則だ。しかし、一人の力には限界があり、地域で協力してやることで、一人ではなし得ないレベルの安全が確保できることが多いのが現実だ。


しっかりと検証し、次の有事に機動的に対応できるようにしたいものだ。