先日まで、東日本大震災10年に関するさまざまなトピックスがあちこちで飛び交っていて、ボランティアの話題も相当あった。
私もわずかではあるが、ボランティア活動に携わらせていただいき、そのときの出来事がいろいろと頭をめぐっていた。
それと同時に、『ボランティア』とは一体何なのかとふと疑問が沸きあがってきた。
ボランティアの定義について、以下のネットの記事を転載する。
"ボランティア"の語源は、ラテン語の"voluntus"や"Voluntarius"だと言われています。
その意味は、「自由意志・自ら進んでやること」。
"ボランティア"とは、一般に「自発的な意志に基づいて 人や社会に貢献すること」といわれており、次のような原則があります。
自発性 … 自由な意志で行なうこと
無償性 … 利益を求めないこと
社会性 … 公平に相手を尊重できること
創造性 … 必要に応じて工夫できること
その意味は、「自由意志・自ら進んでやること」。
"ボランティア"とは、一般に「自発的な意志に基づいて 人や社会に貢献すること」といわれており、次のような原則があります。
自発性 … 自由な意志で行なうこと
無償性 … 利益を求めないこと
社会性 … 公平に相手を尊重できること
創造性 … 必要に応じて工夫できること
無償性とある。
本当に私は利益を求めなかったのか…というとうそだ。
これはあくまで私の場合なのだが、やはり私は何かを求めていたと思う。それが明示される場合とそうでない場合もあるのだけれど…。
その場面で何かを期待していたということはなかったけれど、私の場合、結果として多くの人と知り合い、自分の人生での貴重な経験を得ることができた。
もし、何の見返りも得られなかったとしたら、虚しさみたいなものしか残らなかったと思う。
それ以上に大事なことは自分ではよいことをしたと思っていても、相手が喜んでくれたのかどうかということだ。
そこのところが抜けおちてしまえば、そもそもボランティアとしてもやる意味がない。
ボランティア活動が阪神大震災、東日本大震災以降、日本にはかなり根付いた。
しかし、大事なことはやはり相手のためになっていて、なおかつ自分自身にもメリットがあるようにというより、そういう経験値をメリットとしてとらえるようにしていくことだと思う。