安宅和人さんの『シン・ニホン』は私の中で相当なインパクトがあって、最近はふと思い巡らすときに、書籍の中に書いてあるそのことが頭の中をぐるぐるかけめぐる。
書籍の中で、日本がもう一度世界で輝くために、未来に向けて『風の谷』構想というものを提唱している。
テクノロジーを使い倒しながら、自然と共生した生き方を目指そうということなのだが、宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』を映画などで見た人は多いと思うが、『風の谷』のイメージはまさにあの情景らしい。
私の家は、ハチ北のふもと大笹という集落である。
国道9号線までは約5キロあって、その間に3つの集落を通り過ぎる。
『中大谷』と『口大谷』
そして、国道9号線がつらぬいている『福岡』だ。
風の谷と同様に『谷』がつくではないか…
今朝家を出て、山を下る道すがら、ふとそのことが頭をよぎった。
但馬には『大谷』と呼ばれる地名の場所がけっこうある。
但馬には平地が少なく、幾重にも連なる山の間、つまりは谷間に、田畑を開墾し、住んでいるところが多く、おそらく、大谷という地名は、そういうところからついたものだろうと思う。
安宅さんが言う風の谷が実際の風景ではどこを想定しているのかわからないけど、私にとっての風の谷はまさに自分たちが暮らす場所『大谷』そのものだ。
ここをそんな場所にできればなぁ…
昨日の妄想力の話ではないが、まずは風の谷のイメージをここにあてはめるような妄想を掻き立ててみようと思う。
ところで、昨年地元大笹で、里山防災林事業が実施された。
県の事業で、集落に隣接する林を間伐し、倒木で隣家に倒れこんできそうなものを防止したり、間伐した木を横に配置することで、土砂の流出を防いだりするものだ。
昨年、その事業を実施していただいたおかげで、大笹の谷はすっきりときれいになった。
日本は温帯気候にあり、土地を放置していると、そのうち、草が生え、その中から樹木が育ち、数十年も放置しているといずれ森になってしまうという、干ばつが頻発するような地域にとってはまっことうらやましい場所だそうだ。
実際、耕作放棄地も数十年も放置すればやがて森に帰っていく。
環境問題に取り組む一つの方法に植樹があるわけだが、こと日本においては、そんなことをしなくても、放置しておけば勝手に木は生えてくる。
私が思う、風の谷をつくる手段の一つは何かを足すのではなく、間伐いをしたり、草刈をしたりする引き算で行うというものだ。
この時期、ハチ北ではレンゲツツジをみることができる。オレンジ色が鮮やかな花だ。
スキー場によく咲いているが、ゲレンデ管理などのために、刈られてしまうことが多い。
これに限らずけっこういろんな種類の花をみることができるが、雑草にまぎれてしまい、目立たなくなってしまうのだ。
これに限らずけっこういろんな種類の花をみることができるが、雑草にまぎれてしまい、目立たなくなってしまうのだ。
だから、人が目をかけてやり、しっかりと管理すればあえて何かを持ち込まなくてもいいのだ。
何か新しいものを作り出さなくては…
と人はついつい考えがちだ。
と人はついつい考えがちだ。
だけれど、日本はもともとポテンシャル高いものを持ちあわせている。だから、必ず『風の谷』は実現する。
ただし、それをしっかりと際立たせるようにする努力を怠らなければ…という条件付きだが。