稲作の一大イベント?田植えが終了しました!
まずは、ほっと一安心です。
Masaki Nishimura 西村 昌樹@masakinishimura
百姓の家系… 原点回帰。 https://t.co/SShG9H8qNG
2020年05月16日 14:47
世襲農家でありながら、自分で一度も田んぼをしたことがないという…戦前であれば間違いなく村八分にされます。
これでやっと、村の人に受け入れてもらえるのかなと本気で思っております。(って、稲刈りが終わらないとおそらく、本当の意味では百姓にはなれませんがね…)
稲作の前半戦としては、粗起こし、代かき、そして田植えがビックスリーということになるでしょうか?
Masaki Nishimura 西村 昌樹@masakinishimura
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2020年04月30日 12:29
これ以外にも、畦畔の草刈り、水路の掃除、管理などなど、お米をつくるのは、八十八のプロセスでなりたっている…と教えられたことを身をもって経験させていただいてます。
先日は、代かきをみようみまねでやってみたのですが、あまりの出来の悪さに、近所の先輩に教えを乞うていろいろと教えていただきました。
そうやって教えていただけることも、とてもありがたいかぎりです。
さて…
そんな農作業を自分で体験しつつ、さまざまな学びや経験をさせていただいているわけですが、機械化された農業で、ずいぶんと楽になっているのでしょうけど、お米をつくるというのは大変なことだなと改めて感じております。
ふと、前田周助さんのことが頭によぎりました。
但馬牛の産地として有名なこの地域ですが、今でこそ食用のみとなっているけれど、もとをただせば役牛です。
江戸末期に前田周助さんという馬喰がいて、いい牛を育ることに人生をかけた人がいました。
私の母が生まれ育った猪谷の出身(現香美町小代区水間)で、小代の暮らしを少しでもよくするための活動が元になっているわけです。
急峻な場所に点在する小さな田んぼ、小代の人に限らず但馬の人は、そんな地理的に不利な状況の中で、コメをつくっていました。
昔は多くの作業が手作業だったわけだけど、土を鍬で耕すという行為は、本当に重労働そのものです。
15分も鍬を振りまわすだけで汗が吹き出し、体中は筋肉痛になります。
今は、土をトラクターがエンジンのうなり声をあげながら、いとも簡単にほぐしてくれ、代かきでさらにどろどろの状態にもあっという間にしてくれます。
家族を養うだけのコメをつくるだけでも相当な面積が必要なのに、さらには、幕府にコメを収めようものなら、途方もない広さを必要とし、これを人力だけでやりきることなど到底できません。
そんな中にあって、田畑を耕す耕運機であり、重たいものを運ぶ運送車両の役割を果たしていたのが、牛だったわけですね。
牛なくして田んぼの作業を維持することなどありえません。
だから、地域の人々は牛を家族同様に大切に扱っていたのだなぁと、自分が田んぼにむかってみて、はじめてそのことを体で理解したような気がします。
そんな大切な存在の価値を極限まで高めようとした人が、前田周助さんだったわけですね。
彼が牛の改良に並々ならぬ情熱をささげようとしたのも田んぼにむかってみて、ようやく理解できたような気がします。
知識で理解できることって、おそらく半分以下ですね。
こうやって体を動かしながら頭を巡らせることで、わかることって本当に多いです。