先日、香美町社会福祉協議会の『ぎゃーなもんプロジェクト』の説明会に行かせていただきました。
ぎゃーなもんとは、村岡、小代弁で(但馬全般では使わない?)『元気な人』という意味です。
地域活性化事業を市民にも参画していただき、実施していきましょう…という内容でした。
私自身、これまで町をなんとか元気にしたいと考え、自分なりにいろいろとやっては来ましたが、自分の中でもっともコラボレートできていないところが高齢者でした。
説明会の中では、
ダブルフルマラソンの選手の皆さんにお渡しするお守りを高齢者の方が一生懸命作られていることとか、牛乳パックの椅子づくってあちこちの公民館でおいていただいているとか、高齢者になっても自分たちがなんとか多くの人に役立ってほしい…
という様子を知ることができました。
その中でいくつか感じたことを書きたいと思います。
労働者には、最低時給が決められています。
今日の時点では、兵庫県では899円と定められており、事業者はそこを遵守する必要があります。
事業者論理で言うと、安い賃金で、たくさん働いていただいた人が、会社にとって『役に立つ人』ということになります。
そういう論理で言うと、高齢者特に年齢があがればあがるほどは、役に立たない人…ということになり、はじかれてしまいます。
多くの人にとって、『人に喜んでもらうこと』ということが自分にとっての幸せにつながることを異論をはさむ人はいないでしょう。
そして、本来『労働』というのは、人の役にたち、その対価としてお金を頂戴すること…であるはずです。
私は、高齢者の問題の一つは、労働力とみなすことができない点にあるのだと思います。
だから、高齢者対策は福祉という観点に置き換わってしまう。
高齢者は、やはり身体能力の衰えとかがあるので、そのスピード感では絶対に最低時給を超えることはできないでしょう。
しかし、これまで得た経験が役に立ち、それでもって価値を提供されるのなら、変な話、時給が400円であっても500円であっても、それを価値として認めるべきではないのかなぁ
そんなふうに思いました。