私は、40歳まで、地元の青年会議所(JC)に入会し活動してきました。
青年会議所では、規約で年齢が40歳までと決められています。
商工会など他の組織でも青年部というところがありますが、そこの年齢は45歳とか中には50歳までが青年部組織として活動しているところもあるようです。
なぜ、40歳なのかというのは実のところよくわからず、慣例にしたがって…というふうにしか答えられないのですが、年齢の上限を決めることによって、重鎮と呼ばれる人間を排除し、新陳代謝をしていくことが、ものごとを改革するうえでは必要だからだと私はそう理解しています。
私の住むハチ北に、ハチ北アクティブクラブという青年組織があります。
私も長らくそこに在籍し、時に会長も引き受け、地元ハチ北を盛り上げていくためにがんばってきた時期がありました。
規約もないので、いつがやめる時なのかは、自分自身が決めればいいのですが、私はJCの卒業と時同じくして、自分ではこの組織からは身をひくことにしました。
3年前、後輩たちがハチ北フェスを実行するようになりましたが、地元でやることだから、協力を惜しまない…という選択肢ももちろんありますが、私は会議にも出ないし、手伝いもほとんどしません。下記のように陰ながらの応援は少しはしますが、それ以上のことはあまりするつもりはありません。
Masaki Nishimura 西村 昌樹@masakinishimura
わけー(若い)衆がんばってます https://t.co/xoO4wHW9xO
2019年08月15日 05:09
薄情な…と思われるむきもあるでしょう。
しかし、ここで大事なのは、若い人がイニシアティブをとるということです。すべてのことにイニシアチブをとることで、かけがえのない学びや経験を積むことができるのです。
少しだけ先輩面をして言わせていただけば、後輩たちがやることに心配だと思ったり、経験値の中でこれは不十分だなと思うことはも多々あります。だけれど、それに口出し、手出しをしてしまうことは彼らの真の成長にはつながらないのです。
自分たちが考え、実践し、やってきたことへの責任を持つ。
そのことが一人一人を成長させていくことができるのです。
だから、私たちのような先輩面したものがやるべきことは、彼らに対する惜しみない協力ではなく、もう一つ上のステージで、地元をどう盛り上げるか、それを計画し、実践していくことです。
JCで学んだ仕組みもそこにあると思います。
40歳という節目で卒業してから、ある人は、首長や、議員になる人もいるし、商工会長、観光協会長などの要職について、業界全体をリードする立場になる人もいたり、はたまた、自分のビジネスをさらに拡大し、納税という形で社会に貢献する人…様々です。
後輩たちとは違うステージで地域を盛り上げていくこと。
それが私たちシニアの責任だと思います。