突然ですが、映画のエンドロールを見ますか?
もう何年も映画を見ていませんけど、昔映画館に行ったときは、だいたい必ずエンドロールを見るようにしてました。
正直、エンドロールをみてもけっこうたいくつです。
外国語の作品ならなおさら…
関わった人の名前がたくさん出てきます。
しかし、映画というのは、映像が止まるまでが作品(って今は、フィルム映画ではないのでしょうけど…)。
エンドロールも止まるまでが作品。
だから、意味があろうがなかろうが、じっと見つめる。
でも、無意味と思われるエンドロールを見ながら、そこの作品にかかわった有名無名の人々に思いを馳せ、自分がその映画から受け取る何かを振り返り、自分の中の何かが変化するように勤めようと思います。
ただ、すべての人が映画の終わりの定義をそうだとは思っていない。
ひょっとすると、僕の考えも間違っているかもしれない。
何かを完結させるというのはとても難しいです。
終わりとは一体何かというのが人によって定義がバラバラだろうからです。
さきの映画の話でも、これで終わりということを誰かが教えてくれたわけでもないです…私が勝手にいっているだけ…。
これっていろんな局面でいえるんじゃないでしょうか?たとえば、さまざまな催し、最後まで残ってお開きになるまでが、一つの行事だと思う人もいれば、自分の用事が終わればそれで終わりな人もいるでしょう。
帰りの道の込み具合とかそういうことも考えてしまうわけですし…。
ただ、10分後に途中退席してしうのも、終了五分前に退席してしまうのも、途中退席には違いなく、その会を完結したことにはならないのかなぁと思います。
やはり、しっかり最後まで完結できた『こと』というのは、けじめがついて、何か自分の中でもしっかりとした手ごたえみたいなものを感じます。
終わり方というものをもっと意識したいものです。