最近、但馬のとある集落に初めて訪れました。
仕事柄、但馬内各地を巡っているので、概ね但馬の地理は知っているほうだと自負しているのですが、まだまだ知らないところが多数あります。
そこの集落は、但馬の幹線から外れていて、支線をずっとさかのぼっったところにある10軒ほどのところでした。
そして携帯電話の電波は入らない場所でした。
昨今、コンパクトシティのことを耳にします。
日本のように集落が点在していると、住民一人あたりにかかるインフラコストに莫大な維持費用がかかるので、限界集落を再生するのではなく、ある程度淘汰し、その代わり都市機能を集約させようという考え方です。
私のムラも、幹線から約4キロ離れたところにある山のどんづまりです。以前から何度もお話しているように、ムラにスキー場が誕生し、そこに人が集まるようになり、私たちの生活は豊かになりました。
そして、今も、民宿などで営業を続け、外貨を獲得することができます。しかし、但馬内のすべてのムラがそのような状況になれるわけではなく、昔とさほど変わらない、いわゆる中山間地の集落は廻りにもたくさん存在していて、人の流出を止められていません。
何より、その場で食える手段と言っても、細切れの小さな棚田を維持するだけで生きていける状況ではなくなってしまいました。
そんな中で、そういった稼げる場所ではないところを拠点にして暮らしていけるイメージなどもてるのだろうか…とふと思いました。
私は、このブログを通じて、よき田舎とは…いうことをずっと考えて続けていますが、いつも頭に思い浮かぶのは自分のムラであるハチ北のことで、農村の集落までには思いいたることはあまりありません。
ここで暮らすことを誇りに思うためには、やはりここで生きていくための糧があるのかということを抜きにはできません。
もし自分が、そんな簡単には見つからないであろう場所に生まれ育ったときに、果たして今と同様に、ここで暮らすということにコミットメントできるだけの度量を持ち合わせているんだろうか…とふと考えます。
いや、本気でこの地に暮らすことをみんなに叫び続けるのであれば、そんな場所でも生きていけるんだということに範を示さなくてはいけません。
少なくとも、それでも生きていくという覚悟をもたなければ、都市への流出への歯止めなど到底かけれません。
コンパクトシティという概念に論破できるだけの新た機軸を出せるようにしていかなくてはならない…まだまだ真剣さが足りません。