過疎な集落のexit | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

 

今日の、ツイートでみつけたちきりんさんの記事。

 

ちょうど、地域再生の失敗学を読み終え、ここの記事とも重なりものすごく突き刺さってます。

 

 

今、周りを見渡してみて、どこに勝ちパターンがあるのだ…と問われても、これだというのはそうそう見つからないです。

 

以前にもお話したことがありましたが、私が住むハチ北は、ここ20年近く、次なる投資ができていない地域であって、一発逆転をおこすためには、そんじょそこらのことをしたころで焼け石に水なんじゃないかと思うこともしばしばです。

 

ちきりんさんが言われるように、いつまでもずるずるやってみたところで、勝ち目がないとわかれば、スパッとやめてしまうことも考えるべきだという意見もわからないわけではありません。

 

人生を豊かにするのなら、ここにいることに執着することすらナンセンスだ…と言われて、はいそうですよね…って理解できてもしきれないことがあるんですよ。

 

自分たちが住みたい場所、幸せになれる場所を求めて、あるものを捨てて、出ていくという方法は確かにあるかもしれない。

 

でも、地域で暮らすというのはそんなもんじゃないんです。

自分たちが生まれ育った場所を否定して出ていって、勝ち馬にのるという人生は確かに個人の幸せは手に入れることができるかもしれないけれど、そこに産まれた宿命というものが絶対にあると思うのです。

 

不幸にして、そこに産まれたというのものではない、それはそこに産まれるべきして生まれた宿命なのだ…と。

 

そうでなければ、世の中は不合理な塊でしかないはずです。

そこに産まれた意味があるならば、死ぬまで、そこにしがみついて、とにかく自分の天命を地域に捧げるという生き方が、ほんとうに価値ないことなのか…

 

私はそうは思わないです。

他人と比較して、幸せだったとかどうだったとかではなく、天命のままに一生懸命努力し続けること、そんな中にささやかな幸せを感じていることはとても価値あることだと私は思います。

 

逃げだしたい気持ちがないといえばうそになる。どうしようもなくて、もうすべてを投げ出したくなる。そんな気持ちになることもしばしば。

 

だけれど、ここに産まれたのはたまたまではなくて、理由があってのことなんです。

 

どんなにちきりんさんの論がみんなに共感を呼んで、私がいうことが単なるたわごとだとしても、僕は一生ここにしがみつき、苦しみが99%の人生だとしても、それがここに生きるものの必然だと思っていきていくべきだと思う。

 

そうでなければ、逆にこの地域の未来なんか『くそまじめ』に考えられないでしょ…。