『この辺りで、但馬牛を食べさせてくれるところはないんですか?』
とよく尋ねられます。
私のところの民宿でも、但馬牛の料理はいくつか提供しているのですが、
『ハイうちでどうぞ』
としたいところなのですがどうやらそんな簡単な意味あいではなさそうです。
おそらく相手が望んでいることは、単に『お肉』を食べたいと言っているわけではなく、今やトランプ大統領も食した但馬牛という超有名銘柄のお肉にふさわしい場所、ふさわしいシチュエーション…そういうものも包含した何かを『食べたい』とおっっしゃっておられるのだろうなぁということはなんとなくは理解できるものの、それを答えにするにはなかなかに窮してしまいます。
もちろん、村岡でもいくつかレストランや焼き肉店もありますから、そこにお願いすれば食べることはできますが、そういうことでもないようです。
先日、地元の若手と話をしていると、但馬牛は知っていても、その背景となっているものなどをあまり理解をしていませんでした。
実のところ、私自身も、できるだけ但馬牛のことを理解しようと日々努めていますが、ほんとに理解をしているのか?と言ったら、きっととんちんかんなことも言っているに違いません。
おおざっぱに言うと、但馬牛の農家は、繁殖農家といって、子牛を産み育て、それを、売ることをなりわいとしている人がほとんどです。
子牛を購入した肥育農家という別の農家が、その後、成長させるという役割をになっているんですね。
松坂牛とか、神戸牛と言われる、ブランド肉は、そうやって但馬牛を購入した農家が、最後に仕上げて肉にしたものをいうわけです。
おそらく、ここのところを理解できていない人は大勢いると思います。先の彼もこのことを理解できていませんでした。
一般的な畜産は、産み落としてから肉にするまでをしているわけですから、無理もないことです。
そうなってくると、地元の農家と、私たちサプライヤーとの接点はほとんどありません。だから、隣のムラに住んでいる〇〇さんの肉を食べたいといっても、一貫生産以外の農家のものを食することは非常に難しいわけです。
きっと但馬牛を食べたい人は、そのバックボーンも含めて全部食べたいわけです。
そしてまたそのお肉を食べられるにふさわしいところ、つまりは店構えかもしれないし、ロケーションかもしれません。
海外にも輸出するようになり、さらに一般市民が手に入ることのできない希少なものになりつつあります。
ご当地グルメという言葉があるように、やはりその地で味わうことができるようにしなくてはいけません。
そのためには、やはり、私たち自身が磨きをかけなければいけません。
但馬牛の歴史に恥じないような知識やスキルをみにつけ、とにかくそういうものも含めて提供できるようにならなければ、『この辺りで但馬牛を食べられるところはどこですか?』
という問いに、真剣にむきあうことはできないのです。