いよいよ、地元村岡にある2つの保育園が先日をもって終了となったしらせを知人のfacebookで知ることなりました。
3つある保育園が合併し、春から一つになります。
これが何を意味するのか…。
もともとこの地域には兎塚(うづか)、村岡、射添(いそう)の三つ小学校、そして3つの中学校がありました。(もっとむかしには、もっと数があったのですが…、私が産まれるまえのお話ですが)
それが中学校が合併し、村岡中学校一つに統合されました。
しかし、依然として、小学校は3つありました。それぞれの小学校は、だいたい1学年10名程度の生徒しかおらず、ここ近年は一桁代になるなどしてさらに減少を続けていました。
そんな状況の中にあって、5年ほど前から、町は小学校の耐震化に踏み切り、それぞれの小学校に2~3億円を投じてきました。
それぞれの地区には同時に、保育園もあって、幼児は、そのまま小学校へスライドする形になっていたのですが、現在5歳以下の乳幼児は、3つの地域をあわせても一つの学年で10人程度しかいないということで、保育園が維持できないと、このたび統合をすることになったのです。
このままいくと、数年後いっしょに学んだ幼児たちは、小学校にあがると一旦それぞれの地域に分かれ、中学校になると再び集合するというあまり例のない進学をすることになります。
となれば、小学校の統合に大きく舵を切ることになることは避けられなくなります。
この度の合併の議論での中心的な話題は、予算の問題ももちろんありましょうが、『集合教育』つまりは教育環境についてです。
先日、3つある中の一つの園長先生にお会いすることがあり、そのことについてお伺いしたところ、子どもたちにとっては仲間が多いほうが、教育効果が高くなる…と研究結果が出ている…とお伺いしました。
何よりも子供を抱える親御さんたちは、たとえ通学距離が長くなったとしても、統合した小学校でいっしょに学ばせるほうがいいという声のほうが圧倒的に多い…
と話してくださいました。
私はこれまで統合には反対の立場をとってきましたが、統合反対の意見もそろそろ潮時なのかもしれません…。
ただ、先日ちきりんさんのツイッターをみて、ほんとうにそうなのかもう一度考える余地はあるのではないか…そんなふうに思いました。
「クラスみんなやってるけど、あたしはやらない」ってことを小さい頃から持ててると、大人になっても「あたしはあたし」って思えて非常にラク。
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) 2018年3月30日
学校って「周りと同じ行動がとれるか」ばかりをチェック、訓練し、「周りと異なる行動がとれるか」をまったくチェック、訓練しないという意味で、極めて害悪。あんなとこで教えられることをマジメに聞いてたら人生詰む。
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) 2018年3月30日
私は、けっこうあまのじゃく的なところがあって、人と群れて行動するのとか結構苦手でした。(今でも基本苦手です…)
人より目立ってナンボ、人と違うことをしてナンボみたいな価値感にはけっこう共感できるほうです。
で、うちの町のことを考えた場合に、これからのこの過疎の町が生き残っていくためには尖っていくべきだと思っています。日本中が合併ありで右へならへの世の中にあって、そうじゃない生き方を模索することが何より大事なのです。
個人でもいっしょです。
みんなが集まって教育を受けるとき、人としての協調性などももちろん必要ですが、それ以上にに個性を思う存分発揮していく覚悟をもてるのか…そういうものが時代を切り開いていくのだと私は思っています。それを実現するには、普段身を置く教育環境にこそ、そうであるべきなのではないでしょうか…
昔は、人並みの生活をするためのあらゆる施策が総動員されていました。田舎から都会を目指すのも、もともとは大量生産ために労働力をかきあつめていくことが前提でした。だから、同じような教育、同じような生活…一億総平等社会と言われたように、すべての人が均一にいろいろなものを享受する時代だったのです。
しかし、今は時代が180度かわった。みなと横並びでは生きてはいけない時代になりました。
そして、この先も延々人口減少は続きます。そういう縮小する社会にたいしてたくましく生きる力を身に着けさせることがもっとも大事な力なのではないでしょうか?
世の流れに逆らい、自分たちは自分たちの理想を貫いていく…そういう気概が必要だと思うのです。
だから、安易に合併という選択をとらないでほしい…。
こどもたちが一人ひとりの個性を思う存分に磨いて、最高の能力を発揮して幸せになってほしい…。
保育園の統合が、こどもたち一人ひとりが最高に個性を輝せることがないような社会の構築にならないことを願っています。