昨日、不動産業を営んでいるある社長の言葉がひっかかりました。
『この前、神戸で会合があって、隣では、3億の物件が売れたとかで大喜びしているけれど、こっちは、20万円の物件をどうしようかと悪戦苦闘しているのにね…』
そんなお話でした。
もちろん不動産の価値というのは、その建物だけにとどまらず、周辺環境などさまざまな要因によって決まるものです。
空き家が増えて、取り壊したくてもお金がなくて取り壊しもできず、挙句の果てに朽ちてしまい、さらに景観を悪くしてしまう…
そんな負の連鎖が続いているようにも思います。
都会と田舎では、不動産というものに対する考え方はまったく異なるわけです。
我が家にも少ならからず、土地、建物があります。
幸か不幸か、我が家は4代前に分家したものですから、そのときに引き継いだ不動産はいくらかあるものの、条件がいいものはほとんどありません。
狭小で、急で、そんな土地がたくさんありますし、そもそもどこに土地があるのかそれも把握もできていません。
ですが、この地に不動産があるかぎりにおいては、私たちがどこに住もうとも一生それがつきまとってきます。
最近、田舎から都会から移り住み、もはや田舎にある不動産はわずらわしさしか残っていない人からの依頼があって、不動産の処分の依頼を受けた方があります。
残念ながら、この田舎にあっては、先にのべたように、たいして評価がなされないので、人の手に渡すことも相当な困難があります。
もしかしたら、買い手がつかず、もはや自分にとっては縁もゆかりもない場所に、ただただ固定資産税を払い続けるだけでしかない不動産もつというかたも少なからずいることでしょう。
ですから、不動産を所有したのであれば、やはりそれは家賃収入などを得るための財産としてではなく、そこに根をおろし、そこで生きていくのだという覚悟をもつためのモノとしてとらえる必要があるように思います。