最近ワークアズライフという言葉が聞かれるようになりました。
意味は、仕事と生活が同じものとして進めるということらしいです。
働き方改革が叫ばれて久しく、できるだけ長時間労働を避け、生活により重点を置いた生き方をしようというのが、根本思想なような気がしますが、そもそも、仕事と生活に境目がなく、そこにストレスを感じなければそれはとても幸せなことだろうなぁと思うわけです。
労働者であるか、経営者であるかによって、その考え方には大きな違いがあるとは思いますが、そもそも経営者層というのは、自分の時間の使い方には大きな裁量があります。
で、また時間だけでなく進め方そのものにも大きな裁量があるから、ちゃんと利益が創出できるのであれば、何も自分がやりたくない仕事などやらなくてもよく、アウトソースするなり、そもそも自分の事業領域からやりたくないことは外してしまえばいいわけです。
昨日のブログでも書いたように、やらされてやっている『こと』というのは作業の範疇で、仕事ではないというのが私の持論です。
よく、新入社員などでは、仕事のスキルが低いから、掃除を『させられます』
『一応』は誰でもができるからです。『一応』とあえて囲みをつけたのは、掃除ほど実はクリエイティビティを求められる仕事はないからだと思っていて、世の中には、それで起業して巨万の富を築いた人だっているわけです。
そんな人が本当にいやいや掃除に取り組んできたのでしょうか?
私はノーだと思います。
自分の目の前にある課題を自分ごとしてとらえ、真摯に取り組んだ先には、それをやりこなしただけの新たなステージが用意されています。
また本当にできる人は、普段の生活の中に、自分の次にするべき仕事のヒントが隠れていて掘り出すことができる人だとも思います。
だからモノゴトを極めてくる人にとって、ワークアズライフは必然なのですね。
もし、ワークとライフが分離しているのだとすると、それはまだまだ本物ではないのだと私は思います。