うちの町には、一応、商店街が二つ存在します。
『一応』って言ったのは、正直なところ看板だけは存在しているけど、実態として商店街を形成していないからです。
もう今、いくつの『お店』が存在しているのでしょう?
これまで商店街が寂れていくことに、私自身は、大きな危惧を抱いていました。街がさびれて、それが地域に定着するための求心力を失っている…
ですが、ここにきて、ふと疑問がわいてきました。実際のところ、地域の人はほんとうに生活に困っているのだろうか?
とふと考えてみました。
実は、私の生活圏でいうと、豊岡、和田山、鳥取、だいたい1時間圏内で考えれば、だいたいのものはそろう時代となりました。
田舎の人は、自家用車というモビリティを手に入れたことにより、そこへのアクセスに自分たちの自由な意思で移動できるようになりました。
そしてまた、某生協さんのような家庭まで運んでくれる手段もあります。
さらには、今はアマゾン、楽天などのインターネットサイトは隆盛で、その点においては、街と農村部にほとんど遜色はありません。
そう考えると、これまでの存在していた商店街というものが、地域に生活用品を供給するという発想で、再構築を考えてみても、もう取り戻しようがないのだろうと思うわけです。
となれば、いわゆる商店街という経済エリアの形成ではなく、別の価値がそこに必要です。
私が思うに、人が集い語らうカフェのような存在が必要となのでしょう。
人が集まり、未来について語り、知を吸収し、そして発信していく…大学をイメージするとわかりやすいでしょうか?
人が刺激しあい、そこに行けば何かが生まれるような期待がもしあるとするなら、そこには大いに求心力があるように思います。
もっとも典型的な、田舎の集まりは、現状を否定し、相手をこきおろし、愚痴を言いあい、傷をなめあう、単なる烏合の衆です。
そうではなく、ここから未来を創っていくんだという気概をもって、お互いが切磋琢磨するような地域。
商店街がそれ以外のものに奪われている昨今、生き残る道はそこにしかないような気がするのですが、みなさんはいかが思われますか?