歴史を刻もうとする意志 | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

 

私は、ショッピングモールに行くことをできるだけ避けてきました。

必要に迫られて、買い物に行くときも、必要なものを目指してまっしぐらに走り、用が終われば、あっさりと外に出ていきます。

 

一方、いわゆるまち歩きは、大好きです。

用もないのに、ひたすら、歩きまくったりすることもしばしばです。

 

以前も『札幌の街』みたいに、どこかに行くときは必ず、ジャージとマラソンシューズを持参し、その雰囲気を楽しみます。

 

今ショッピングモールも進化していて、ずいぶんとマチに近いようなところもあります。

 

だけれど、きっと私は、そういう場所に行っても逃げてしまいたい衝動にかられるだろうと思います。

 

自分なりにその違いはなんなんだろうって考えてみるのですが、それはたたずまいに『歴史を刻もうとする意志』があるかどうかなのかなぁと思いました。

 

おそらく、いまあるショッピングモールは、売上がすべてであって、そこにマチとしての意思を感じることはありません。

 

一方、いわゆるマチは、古くてみすぼらしいものはリニューアルされていくものの、残すべきものは残す…

 

という意志が存在します。

 

また、街路樹や、植栽などは、まさにそこに根を張っていって、年々その存在感を強めていきます。

 

もし、今のショッピングモールも単なる商業施設から、歴史を刻もうとする意志が存在しはじめると、私もそこに行くようになるかもしれません。

 

同じくショッピングモールのような形態である商店街は、今や風前の灯火となっていますが、台頭するショッピングモールに押し切られ、翻弄され、そこに存在する意志を見失っているから、魅力が薄れてきているのでしょう。

 

マチの人たちは、まさにそこを舞台に、日々生活がなされています。

そこに喜怒哀楽があります。そんなリアリティのある生活の場であるからこそ、『生きる』をもっと表現してほしいと思うのです。

 

ショッピングモールは売上が建たなければ、最終的には、つぶされ、更地になります。

 

ですが、マチはそういうわけにはいきません。

なんとしてもそこを生き抜いていく覚悟が備わっているはずです。だから、そんな覚悟をもっとリアルに表現してほしいと思うのです。

 

以前、パリノートルダム寺院の大聖堂に行ったおりに、その周辺をぶらついてみましたが、周りには、観光客をターゲットとして店が軒を連ねていて、まさにショッピングモールの様相を呈していたわけですが、逃げ出したい気分にかられなかったのは、やはり、そこに『歴史を刻もうとする意志』があったからなのではないかなぁと回想しています。

 

私のムラにも意志があります。

そして、先輩たちは、それらを表現してきました。

 

以前のブログにも書きましたが、生きていくために出稼ぎをしていたムラが、スキー場というインフラを手にいれ、そこに365日根を張る生活を手に入れることができたわけです。

 

そんな意志を、民宿という形にぶつけ、日々を必死に生き抜いて来られました。

 

今の私たちにそれだけの意志があるんのでしょうか?覚悟があるのでしょうか?

 

ダメなら、この場所から離れればいいんだから…

今はそんなことが可能にな時代です。

 

ですが、そんな浮ついた意志を、すべての人はお目通しなのです。

歴史を刻もうとする意志をもったところに人は魅力を感じ、人が集まっていくのだと思います。