という言葉が頭をよぎりました。
かの二宮尊徳さんが、語った言葉として有名です。
この地に生まれてほんとうによかったと心から思えるためには、単に観念としてだけではなくて、実態としてもよくなっていかねばらならないと思います。
よく『田舎は暮らしやすくて…』というフレーズを私たちは安易に使ってしまいます。しかし、言葉に偽りはないとしても、どことなく、観念的にそう思い込んでいるふうもあったりするわけです。
所得は十分か?、生活インフラは整っているか?、教育、子育て、介護、医療etcは十分か?
そういった目にみえるもの、手に触れるもの…それらも満たされていることも重要です。
道徳なき経済~のくだりは、実はけっこう解釈としてはむずかしいです。
『道徳』や『経済』を辞書でしらべてみても、その言葉はとても観念的で、とても難しい…。
わかったようで実に奥深い言葉です。
だから、その解釈に幅があっていいのですが、
稲盛さんの京セラグループの理念で使う
『物心両面の幸福を追求する~』
という言葉がそれにあたるのかなと解釈しました。
なぜ、稲盛さんは、単に幸せを追求すると言わず、物心両面にわたって…とあえて付したのか
きっとそれが、尊徳さんのいう経済なき道徳~と通じるのかなぁと…。
幸せというのは、衣食住も満たされてこそなのだということ。
また、自然豊かなマチである私たちの町ですが、自然豊かな状況を作り出したのは、悠久の歴史の中で育まれてきたものであって、私たち自らが作り出したものではありません。
自然を単に利用するだけなら、私たちはただ乗りしているにすぎません。
整備をしたり、維持したり、育んだり…人が手間をかけ、より価値あるものとなるように努力すること…それがこの地域における道徳ある経済なのかなと思います。
いずれにしても、立ち止まっていては、それら実現することはできないということ。
努力し続けないといけないということ。