昨日は、土木学会90周年の事業ということで、出石ひぼこホールにて、講演会がありました。
2部構成の一部は、日本土木学会会長の大石氏のお話し、そして2部は、大石氏、中貝豊岡市長を交えてのパネルディスカッションでした。
豊岡市長は常々『小さな世界都市』を目指すということを内外にむけて多く発信されています。
私は、豊岡市民ではありませんが、そのフレーズを聞くととても胸が躍ります。
私は、ずっとスキーを続けてきました。
大した実力はなかったですが、高校3年生のときに、県に一つだけある出場枠を利用して、全日本選手権に出場することができました。
私が出場したのは、全日本選手権の回転と、ダウンヒル、スーパー大回転の3種目でした。
特にダウンヒルとスーパー大回転の2種目は、FIS(国際スキー連盟)の公認レースに指定されていたこともあり、海外から多くの選手も出場して、一緒に滑る機会を得ました。
ゴールしても、後ろの方から数えたほうが早かったので、恥ずかしくて孔があったら入りたいぐらいでしたが、海外の選手と滑ることができた経験は自分にとっては特別な経験でした。
そんなできごとを経験したことで、とにかく海外の選手と一緒に戦えるぐらい実力をつけたいと大学でも一生懸命にスキーに取り組みましたが、結局それはかなわない夢と終わっていますが…。
大学のときは、スキー部の合宿は海外で行う機会を得ました。
毎年11月の後半から合宿を行っていたのですが、その時期、日本では北海道の一部ぐらいしかスキーをすることができませんでした。
以前はそこで合宿を行っていたのですが、海外には豊富に雪がある場所が多かったことと、円高ということもあって、航空チケットを購入しても、北海道で合宿する費用とあまり大差がないこともあり、先輩が海外遠征を計画して、私もそれに行くことができました。
初めての海外ということもあり、見るもの触れるもの何もが新鮮で、本当に楽しい思い出でした。
そんな経験もあって、卒業後も、とにかく日本を一度は出てみて広い世界をみたかった私は、半ばプータロー的な放浪の旅というイレギュラーな形でしたが、海外での生活も実際に経験しました。
そのときのマインドは、私の心の片隅にいつもあり続けていて、今でも海外にはいつでもどこでも行ってみたい気持ちがあります。
今、観光の世界では、インバウンドが活況ですが、香美町にそういう海外の人を迎えるような活動に取り組んでいるのも、その気持ちの延長にあります。
そんな私なりの経験から『小さくても、世界と渡り歩ける地方都市を目指す』という中貝市長の考えには、ほんとに共感できるのです。
私が所属した大学スキー部の同期や先輩後輩には、長野県の白馬や、志賀、ニセコなどいわゆるインバウンド先進地域に居住する人もたくさんいます。
彼らが住まうマチムラには、オリンピックの選手も多く輩出していて、視線は常に世界を見続けています。
そんな彼らと接する機会を得ると、きっと私たちの町でも同様のことができるに違いない…
そんなことを思うわけです。
今、私たちのような片田舎でも、インターネットというものを通じて、世界と容易につながる社会になりました。
場所によるハンディは以前に比べ、大幅に縮小しています。
実力さえあれば、世界につながれます。
まだまだ実力は伴っていませんが、そんな社会の入り口にたっていることにワクワクせずにはおれないのです。