先日の日本海新聞で、陸上選手だった為末大さんの論考はとても考えさせられる内容でした。
青山学院大学が箱根駅伝で3連覇を果たしたことを事例に、選手が競技に対してどのように打ち込むべきかということについて、いわゆる指導者が厳しく『管理』する方法と、選手自身が『主導』する方法についての長所短所について述べられていました。
為末さん自身は、いわゆる自己主導型でトップアスリートになられたわけですが、団体、個人の競技の特性もあるとは思いますが、自己主導型を推進の可能性について説いておられました。
私自身も、競技に永年打ち込んできて、自己主導型でやってきました。
高校のスキー部は、私が入部したときは、先輩はいましたが、三年生ということで、もう既に引退をされていて、ほとんど面識がありませんでした。
顧問の先生から、いきなり主将を命ぜられました。
また、顧問の先生は、陸上部や、剣道部の顧問も務めておられ、技術的な指導や、トレーニング方法などは指導をあまり受けてなかったと記憶しています。
それらについては、すべてお任せ状態で、好き放題やっていました。
自分自身で、さまざまなトレーニング理論の書かれたような文献を購入して、自分なりにアレンジして実践していました。
当時は学生の分際だったので、書籍を購入するような自由に使えるお金というのもなく、それほど多くの情報もなかったし、どちらかといえば根性トレーニング中心で、今思えば、まったくナンセンスなトレーニング方法であった部分も多かったと思います。
しかし、たとえそれが、そうであったとしても、自分自身が納得し、選択してきた結果だったから、そのすべてを受け入れることができました。
大学に入り、本当の意味で『クラブ』としてのトレーニングに接しました。
ただ、やはり大学というところは、自己裁量の範囲が非常に多く、足らない部分は、自分でいろいろ補いました。
これもまた自分が納得するまで、練習を行ってきました。
いま兵庫県で活躍する選手とくらべて、その成果は十分なものではないかもしれませんが、自己主導ですべてをさせていただけたことには本当に感謝しています。
そうやってさせていただいた一つ一つの経験は、間違いなく自分の基礎となり、今の仕事や生活を形づくっているものです。
競技者としての成果は、やはり成績であることは間違いありません。
しかし、そのプロセスもまた重要なものだと思います。
競技に関わっているものとして、そこも大事にしていきたい。
間違いなくいえるのは、自分のもてるものを出し切ること…
これは自己主導型であろうが、管理型であろうが変わらないことです。
それなくしては、それが成績であれ、プロセスであれ、得られるものは非常に少ないです。