「皆さんに、特に若い人たちに聞いて欲しいんです。私は、自分が信じるもののために、生涯をかけて戦ってきました。勝ったことも、負けたこともあります。辛い思いもしました
あなたたちも、勝つこともあれば、負けることもあるでしょう。負けることは辛い。でも、決して、信じることをやめないでください。正しいことのために戦うことは、価値のあることです。やるべき価値のあることなんです」
大統領選挙でヒラリーさんの敗戦の弁が染みます…
「戦う」を「生きる」と置き換えて、その言葉の重みについて考えています。
「生きる」という言葉を「戦う」という表現で使うことはおかしいと言われる人もいるかもしれないけど、過去の歴史をみると、民主的な平和な世の中をつくっていくために、戦いがあって、今こうやって私たちが平穏に暮らせることを考えると、そういう言葉を使うこともありだと思います。
とかく、私たちは、名誉や地位や金を追い求め、自分の保身に走ってしまい、得か損か、そういうことで動いてしまいます。
ですが、まず第一義に考えなくてはいけないことは、それは世の中にとって大切なことなのかどうなのか、たとえそれが損をすることであっても、やらなければいけないことはあるということです。
ヒラリーさんは選挙には負けたかもしれないけれど、選挙で問うていたのは、すべての人が夢を見て、実現をすることができるアメリカンドリームを身をもって示し続けたことであろうし、国際社会が平和で安心できる状況をつくりたいという願いだったわけで、だから、彼女が負けたからと言っても、そこに正義があって戦い続けたわけだから、まさに価値あることです。
莫大な選挙費用がかかり、多くの人がそれに携わって、もし何も残らかなったとするなら、本当にむなしいことだけれど、そこに正義があるのだから、価値あるものがそれぞれの中に残ったと思います。
自分自身の弱さを認めることができたこと、それもまた価値あることで、次の真なる自分に対しての道標になったはずです。
私たちが生きているフィールドは、ヒラリーさんからするとちっぽけなものにしか過ぎないけど、正義のために戦う自分でありたいなと思うし、彼女が精いっぱい戦って負けたからこそ、その言葉には多くの含蓄があって、私たちもそこから多くのことを学ばせていただきました。
「正しいことのために戦うことは、価値のあること」
胸に刻みます。