9月になると思いだすのは、『岸和田だんじり祭り』です。
従姉妹が岸和田に住んでいて、何年かだんじり祭りを見た(ということか、参加?した)ことがあります。
日本でも有数の祭りの一つですから、それはそれは壮大で、ほんとに思い出に残っている祭りの一つです。
岸和田市民は、だんじり祭りのために生きていると聞いたことがありますが、あれほどに、地域を熱狂させる祭りはそう多くはないでしょう。
人が、『生物』として生きるために、最低限の衣食住を必要とするけれど、人が『ひと』として生きるためには、文化が必要なんだなーとあの祭りで、そう思うのです。
世の中が変化し、世界で共通の文化になってしまったものもある一方、その地域特有の文化もあります。
ローカルな行事というのは、やはりその地域に住まう人が『ひと』として生きるための知恵として生まれたものです。
地学的な位置、気候、風土、地政学的な影響など、さまざまな要因が複雑に絡み合って、その地域が生き抜いていくための『文化』が醸成されています。
今の時代、文化を軽んずる風潮があります。
人が人たるゆえんは、喜怒哀楽という感情を持ち合わせているからです。
文化を軽んずるということは、単なる生命体に戻ることを意味するのではないかと思います。
ちょっと話は違いますが、鉢伏山にウスイロヒョウモンモドキという絶滅危惧種の蝶がいます。
幼虫は、オミナエシを餌としているので、それを救うためには、オミナエシがある環境をつくっていかないといけません。
しかし、盆花としても使われるオミナエシですが、園芸種のオミナエシは食べないんだそうです。
だから、オミナエシは、自生しているものから種をとり、それを増やしていかないといけません。
私も少しだけ、自生のオミナエシを種から育てていますが、花の咲き方がやはり園芸種のものとは違います。
自生種が自生種であるのは、その地域にもっとも適合するよう進化した結果です。
ひとがその地に特有の文化がある背景は、その地域の特有の要因があるからです。
だから、文化が消滅するということは、単なる生命体に近づいていることではないのか?と感じるわけです。
人が『ひと』として生きるために、文化は必需なんだと改めて思います。