『暮らす』を辞書で調べると『生活する、また生計を営む』と書いてあるので、生活するという言葉と同義なのでしょうが、私はその意味は微妙に違うような気がします。
生活には、お金がつきまとうけど、暮らしというのは、そういう金銭的な観念は横においていているような感じでしょうか
私達は『暮らす』ということにもっとコミットメントしないといけないなと思うのです。
仕事は一般的には、金銭を得るためにしているけれど、一日を有意義に過ごすというか、そこにもっとフォーカスしないといけないということをひしひしと感じます。
お給料をもらい、それは、食べ物や服や、また家賃などなど…さまざまなモノに変換されていくわけですが、単に生きながらえる食べ方であれば、いまの時代であれば、コンビニに行けば、生きていくためのカロリーはそこで消費することができるけれど、暮らすための食事は、食事を準備する行為そのものが喜びになって、単にカロリーを補給するということではないものも折り重なっているわけで、そうなれば、その作る行為そのものが貴重であり、また価値をもつようになると思います。
服を着る行為も、寒さをしのいだりして外的環境から身を守るというものだけではなく、そこに自分のアイデンティティを表現するものであったりするという価値が付加されていきます。
女性は特に、そういう意味では上手に『暮らし』ているような気がしますが、こと男は、『暮らす』ということがへたな気がしますね。
モノやサービスがありふれた時代だからこそ、一つ一つの生き様に意味を見出しいくことが必要ですね。