北海道で業界の会議があり、それにあわせて、夕張JCを訪問しました。
いま、私が所属する美方青年会議所が、昨年存続の危機にさらされましたが、多くの皆様の支援を得て、2014年度も再開できることとなりました。
その立役者の一人である小田原JC、OBの上田博和さんが同様に支援されているのが、夕張JCでした。
夕張市は、2007年に、財政破綻をした自治体として全国から注目を集めることになりました。
当然それは、地域の生活にも及び、青年会議所の活動も同様に危ぶまれて一時解散の危機を迎えました。
いま、12名のメンバーで活躍されており、しかもそのリーダーとして活躍されているのが、橋場理事長という24歳の女性です。
私自身、昨年で卒業したわけですが、後輩にそのバトンを託すことができませんでした。
いばらの道をあえて選ぶことになったその真意をお聞きし、ぜひ、その経験の一旦を持ち帰らせていただきたいという思いで、上田先輩のつながりを通じて訪問させていただくことになったのです。
はじめて夕張を訪れました。
マスメディアで伝わってくる状況とは少し違う感覚をもちました。
確かに、昔炭坑で働く人々が利用していた集合住宅の多くが空き家や、入居が悪いなどの状況で、建物のメンテナンスも十分になされていないような状況も見受けられましたが、『活気』という点では、それほど私たちの地域と変わるような気がしませんでした。
理事長にもお会いし、数時間、町の現状や、取り組んでいる事などさまざまなことについて意見を交換させていただきました。
実は、香美町も財政の健全化という意味では、全国の自治体のワースト10以内に入るなど、その多くを国の交付金に頼っている町です。
ですので、町が夕張のように破綻しなかったのは、単なる偶然だったと私は思っています。
理事長のお話を聞いて一番気になったのは、破綻してなお、市民自身がそれを自分ごととして受け止めていない人が大勢いたということです。
その状況は、香美町もほとんど変わらないと思います。
自分たちの町は自分たちの手でつくりあげていくという気概が薄かった結果が、破綻という最悪の状況を招いたのではないかそんなふうに感じました。
住人は、どこに住んでもいいという権利が与えられています。
だから、自分がこの町を捨てるという選択肢をもつことも可能ではあります。
しかし、私たちは、自分の生まれた場所というのは、それは単なる偶然ではなく、必然であると考え、何が何でもその地域をよくしていて幸せを作り出して行く責任があるのです。
橋場理事長は、もとは旭川のご出身だったそうです。
両親の関係で、夕張に引っ越してきてそこに居を構える事となったようです。
しかし、理事長は、そこで住まうという選択をし、そしてそのことに最大の責任と誇りをもっておられました。
一人でも多くの人に、自分が生まれ育った場所に誇りをもってもらえるよう、すすめていかなくてはなりません。
今回の訪問は、私にとって非常に価値のあるものとなりました。
遠く離れてはいますが、北にも同様に町のことを思い、必死で活動をしている同士に触れ、私自身の背もきりっとのびた気がします。
この大切な出会いを糧に、また明日から、努力していきたいと思います。
