恩師は、僧侶だったので、その息子さんもお寺を継がれていました。
だから、通夜や葬儀の読経は、息子さんが勤められました。
通夜の読経が終わったあと、思い出話を含めた住職としての説法がありました。
『今日はめでたいんですよ。
今日は、親父の別れでもあるけれども、仏さんになる第一歩を歩まれためでたい日なんです。』
そうお話をされました。
それを聞いて、確かに、別れと出会いは連続しているし、悲しみがあるから、日常が幸せだと感じれることもあるし…。
悲しみも含めて、生きていることが幸せなんだ。
いや死んだあとも、実はずっと幸せなんだな…
そんなふうに思いました。
住職が語っておられましたが、恩師がなくなったのは、一昨昨日のことだったので、それから通夜までは、本当にこれまでないくらいに泣きじゃくったんだそうです。
しかし、通夜の住職は、気丈に振舞い、ときに笑顔でみなさんをお迎えしておられました。奥様も、住職の姉妹たちも、本当に恩師は亡くなったのか?と思わせるぐらい、明るく振舞われていました。
いっしょに来ていた仲間も、その明るい対応に、逆に戸惑ったようですが、この明るい振る舞いは、恩師が、家族とともに、一日一日を大切に生きてきた証だったのだと思います。