高校で、社会については、歴史か地理かの選択ができたので、地理を選択したぐらいで、どちらかというと歴史は不得意科目の一つでした。
それは、とにかく物覚えが悪く、歴史年表などが覚えられなかったので、どんどんときらいになっていったということがあったからです。
しかし、世の中の動きにだんだん自分自身も関心が高まってくると、やはり歴史を学ぶことは避けられなくなってきて、少しずつではありますが、歴史についても関心をもつようになってきました。
いま、尖閣、竹島問題などの問題がさわがしい昨今ですが、マスコミなどの報道から聞こえてくるのは、それが、アジアの総論のように言われていますが、私はそれにはかなり懐疑的な見方をしています。
私は、縁あって、2007年にJCで国際交流の担当の委員長をさせていただきました。
その年の事業を構築するのに、決まったのが、バリ島に行くというものでした。
私が担当する以前は、貧困地域に行くことがだいたいのパターンになっていて、2006年はフィリピンのスモーキー・マウンテンというゴミの山と呼ばれるようなところに行くようなミッションだったので、バリ島といえば、アジアの海洋リゾート地としても名高いところですから、遊びに行くのか!とずいぶんと批判も受けました。
私がその年に経験したバリ島でミッションで一番衝撃的だったの、インドネシアでは日本はとても尊敬されている国であるいうことでした。
いままで、先の報道の話でもあったように、日本は太平洋戦争を語ると、日本はさもアジア地域を支配し、虐殺などを繰り返したという負のことばかりが強調されます。
しかし、すくなくともインドネシアの国民、特にバリ州の人はそんなふうには思っていません。
話が代わりますが、バリの国際空港の名前は、一般的にはデンパサール国際空港と呼ばれていますが、正式名がングラライ国際空港といいます。
それは、バリの英雄グスティ・ングラライ将軍に由来します。
インドネシアの通貨ルピーの肖像にも、グスティ・ングラライ将軍が刻まれていますので、どれだけインドネシアの人にとって、重要な歴史上の人物であるかはわかるでしょう。
私がバリでのミッションを構築するときに大変お世話になったのは、バリJCのメンバーでした。
当時の理事長はングラライ理事長という方で、実はそのお孫さんにあたる方でした。
ミッションの中にチャンディ・マルガラナ墓苑で、石碑に献花する場面を入れました。
それはングラライ理事長の要望でもありました。
そこにングラライ将軍が自決したとされる場所にある墓苑に、日本人の名前の刻まれたが墓石もありました。理事長はこう語ってくれました。
『インドネシアは第2次世界対戦が終了するまで、オランダの植民地であり、私の祖父を始め、欧米列強の支払からの解放を求め戦いましたが、ここで自決しました。しかし、インドネシアの兵士に混じって、戦ってくれた日本人がいました。いま、オランダから独立を果たし、独立国家としてあるのは、そういう日本人がいてくれたからです』
私は、この経験を通じて、本当の史実を知りました。そして、いまマスコミをはじめ、日本の中で言われる史実がずいぶんと偏ったものであることを知ったのです。
バリ島が日本人にとっても、リゾートして人気があるのは、バリの人たちが、そういう歴史を認識し、日本人祖先に対する畏敬の念をもっていることとは無関係ではないと思います。。
残念ながら、この事実はバリ島を訪れる多くの日本人もあまり知らないと思いますし、まして多くの日本人は、広くアジア全般での出来事については、知らされていません。
靖国神社に総理大臣が参拝すると、すぐに中国、韓国は反発をするし、またそれをマスコミは大きくとりあげ、どちらかというとその論調は、自虐的なものです。
しかし、一方で、アジアを広く見渡せば、日本を愛してやまない国々があることも知っておいてほしいのです。
近現代史は、教科書だけで、すべてを語られる単純なものではありません。そして、それによって日本人の誇りが失われるようなことは絶対にあってはいけないのです。