いま、市民の民意ってけっこうあがっているように思います。
昔のことは想像の域をでないのですが、学力などはそれほど高くないため、そういう知識の格差みたいなものがあって、ある特別な人がそうでない人をまとめていくということが容易にできた時代だったのではないかと思います。
しかし、現在は無名であっても、その分野においては、誰にも負けないものをみなさんがもっているように思います。
そして、なまじっかみなさんが知識をもっているので、なまじっか、あいつはリーダーとしてふさわしくないといった論調になるような気がします。
ここ数年の首相の交代劇をみていて思うのは、自民党であれ、民主党であれ、人格と、知識、見識、そういったことを全てある程度は兼ね備えておられる方ばかりだったと思います。少なくとも、小選挙区で選ばれた代議士の先生ですから、地域で一番の人が国会議員に選出されているはずです。
しかし、何かの言葉のアヤが違えばひどく叩かれるし、世間はそういう粗探しばかりをしているようにも思えます。
私は最近、これは、いわゆるリーダーというか、一つのものごとを成し遂げていく過程の前提が、一人のとてつもなく優秀なリーダーがいたというか、まわりの人の時代がそうだったために、見識がそれほどみとあわせていないその他の多数の人がいて、やってきた昔のイメージをいまもひきずっているパラダイムそのものに誤りがあるのではないかと思います。
さきほども言ったように、時代は以前のような状況ではないので、一人が神様のように全てのことが判断できるようなことは土台無理です。、その道を極めた人がみれば、あいつは何もわかっちゃいねーみたいなことなわけです。
であれば、その分野に長けたひとはその部分で大いに活躍して世のために尽くせばいいと思います。
いまのリーダーに求められるのは、能力や判断の高さではなく、誠実でありさえすればすべてにおいて矢頭に経つ必要がないのではと思います。