集める情報と捨てる情報 | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

いま情報社会になって、いろんな情報が瞬時に入るようになりました。


また、まもなくipadが登場するなど、最先端の情報機器の話題も世間に広がるように、情報インフラも私たちが考える以上に、猛烈なスピードで進化しています。


田舎にいても、都会と近い情報が得られるようになってきているということはたいへんありがたいことです。


だいたいにおいて、どうやって新しい情報を収集するかということにみなさん躍起になっていますが、情報を捨てるということも同時に考えていかなくてはいけません。


yahooのポータルサイトが気に入っている方には、申し訳ないのですが、数ヶ月前から、ポータルサイトをyahooからgoogleに変更しました。


yahooはご存知のとおり、トップ画面が検索エンジンになっていると同時に、トップニュースが表示されるようになっています。


これは私だけかもわかりませんが、そのトップニュースが飛び込んでくるとついついその内容を確認したくなってみてしまうのです。


そのニュースの中身も、政治、経済だけでなく、芸能ニュースも含まれていて、またそれもついついみてしまいます。


私にとっては、芸能ニュースをみることは、お客様との会話のときに多少は役にたつものかもわかりませんが、あまり重要な情報ではありません。


しかし、それでも確実に、芸能ニュースをみていると、そのための時間が奪われてしまいます。なんだそんなことわかりきっているじゃないかということですが、このついついというのが、けっこう曲者です。


ある日、自分がそのニュースを見るという行為で自分の本来やらなければいけないことが止まってしまっているのではこれは問題だなーと感じ、googleの、ある意味そっけない検索エンジンに切り替えることにしたのです。


これは一つの例ですが、「情報は大事だ」という固定観念から、集めることばかりにとらわれて、本来重要と思えない情報を集めるのに時間を要したり、あるいは、その集めるという行為をやっているということが、仕事をやっているのだという気になったりすると、大切な時間を失ってしまいます。


どれが重要でどれが重要でないのかということを選択することはとても難しいですが、自分が欲しくて集めるという情報でないとその人にとっては本当は余り価値があるものではないいうのが私の一つの情報に対する考え方です。


私はテレビをほとんど観ませんが、上の同じ理由によるところが多いです。


最初テレビをみなくなったことで、他の人との会話がなりたたなくなるのではないかという恐怖感みたいなものがありましたが、いまはそれほど気にはなりません。

(他人からみれば時代にのりおくれた人というレッテルを張られているかもわかりませんが)


情報を捨てるということもまたいまの情報社会の中では必要なことのように思います。