ちょうど阪神淡路大震災のときは、長野にいて、学生のスキーの全国大会中だった。
朝のテレビを見ると、どのチャンネルも地獄のような光景を空撮で映し出していた。
それが、神戸とわかるや否や、すぐに、家に電話をかけた。
かなり家も揺れたが、自分達のところは無事だった。
2月か3月か、電車も復旧し、自分の目でも、この状況を焼き付けなくてはという、思いで、三宮に向かい、加納町あたりをぶらぶらとしたと思う。倒れているビルなどがあり、その地震のすさまじさを思い知った瞬間だった。
あれから、15年すっかり神戸は以前のような爪あとは残ってはいないが、しかしみんなが生きることに必死になったあの思い、人と人とがつながっていくあの感覚、傷を受けた側も、傷を癒す側も、純粋に生きることにピュアになれた瞬間、あの思いだけは決して風化させてはいけない。