大阪フィルハーモニー交響楽団
第570回定期演奏会
【日時】
2023年7月21日(金) 開演 19:00
【会場】
フェスティバルホール (大阪)
【演奏】
指揮:下野竜也
ピアノ:ヴァルヴァラ *
管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団
(コンサートマスター:崔文洙)
【プログラム】
フィンジ:前奏曲 ヘ短調 作品25
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595 *
フランク:交響曲 ニ短調
※アンコール(ソリスト) *
チャイコフスキー:ノクターン ヘ長調 作品10-1
大フィルの定期演奏会を聴きに行った。
指揮は、1969年鹿児島市生まれ、現在は広島交響楽団音楽総監督を務める指揮者、下野竜也。
ソリストは、1983年ロシア生まれ、2012年ゲザ・アンダ国際ピアノコンクール優勝のピアニスト、ヴァルヴァラ。
最初のプログラムは、フィンジの前奏曲。
この曲は、私には耳馴染みがないけれど、ネオバロックとでも言うべきか、バロックとロマン派を足して2で割ったような、フィンジらしく聴きやすい癒しの音楽だった。
次のプログラムは、モーツァルトのピアノ協奏曲第27番。
この曲で私の好きな録音は
●グルダ(Pf) アバド指揮 ウィーン・フィル 1975年5月13日セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube1/2/3)
●クリーン(Pf) スクロヴァチェフスキ指揮 ミネソタ管 1978年セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube1/2/3)
●務川慧悟(Pf) ブラレイ指揮 ワロニー王立室内管 2021年5月13日エリザベートコンクールライヴ盤(NML/Apple Music/CD/YouTube1/2/3/動画)
あたりである。
片やロマン的、片や古典的とアプローチに違いはあれど、それぞれのやり方で自国最大の作曲家の“白鳥の歌”をうたい尽くしたオーストリアの二大巨頭、グルダとクリーン。
そして、演奏時まだ20歳代、この曲を書いたモーツァルトよりも若く、またお国ものでもないのに、二大巨頭に負けない美しい演奏をした日本の新星、務川慧悟(その記事はこちら)。
今回のヴァルヴァラの演奏は、入りを一拍間違えてオーケストラとのアンサンブルが崩壊しかけたり、ミスもちょこちょこみられたりと、これまでに私が聴いた大フィルの歴代共演ソリストの中で最も完成度が低かったが、その代わりというべきか、音色は大フィルの歴代共演ソリストの中で最も美しかった。
特にモーツァルトのピアノ協奏曲の場合、これまでのピアニストたちは田中玲奈の色彩的な美しいフルートの陰に隠れていたのだが、今回に限っては、田中玲奈のフルートがモノトーンに聴こえるほどに、ピアノの音が華やいでいた。
古典的なスタイルの中にときどき大仰なロマン派風スタイルが混じるのは気になったが、全体的には品があり、また(上記名盤たちほどとは言わないが)あらゆるフレーズに歌もあって、モーツァルトが合わないわけではなさそう(むしろ合っている)。
また、ミスはけっこうあったものの、多くのパッセージはスムーズに弾けており、技量がないわけではなくポテンシャルはありそう(緊張もしくは準備不足の問題か)。
アンコールのチャイコフスキー「ノクターン」は、技術的に難しくない曲ということもあってか、文句なしに美しい、絶品の演奏。
ヴァルヴァラ、これまであまり聴いてこなかったが、ちょっと注目していきたいピアニストとなった。
同郷の同世代のピアニスト、アンナ・ヴィニツカヤの力強いピアニズムとは対照的で、どちらも面白い。
最後のプログラムは、フランクの交響曲。
この曲で私の好きな録音は
●フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィル 1953年12月14,15日セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube1/2/3)
●クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア管 1966年2月10-12,15日セッション盤(NML/CD/YouTube1/2/3)
●ネゼ=セガン指揮 モントリオール・メトロポリタン管 2010年7月セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube1/2/3)
●アルミンク指揮 ベルギー王立リエージュ・フィル 2012年6月4-8日セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube1/2/3)
あたりである。
フレーズを豊かにニュアンスづけしてドラマティックに仕上げていく“ドラマ型”の演奏と、ニュアンスづけを極力抑えて音の響きそのものを積み上げていく“純粋器楽型”の演奏。
“ドラマ型”VS“純粋器楽型”の対比を、20世紀のブルックナー風重厚スタイルで味わえるのがフルトヴェングラーVSクレンペラー、21世紀の今風洗練スタイルで味わえるのがネゼ=セガンVSアルミンクである。
今回の下野竜也&大フィルの演奏は、どちらかというと“ドラマ型”タイプ。
第1楽章の再現部など、テンポをぐっと落としてのドスの利いた表現は、魔王でも出てきそうな雰囲気である。
それに加え、彼はおそらく日本でもトップクラスの洗練を持つ人で、同世代のネゼ=セガンやアルミンクと同様に(彼らのすっきり爽やかな音楽とはタイプがやや異なるが)、配慮の行き届いた演奏をする。
あとは、フルトヴェングラー盤の威容やネゼ=セガン盤の優美さのような、何かもう一つ独自の魅力が備われば、私にとって上記名盤たちに並ぶ存在になったかもしれない。
(画像はこちらのページよりお借りしました)
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