(モーツァルトらしいピアノ演奏とは) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想でなく、別の話題を。

下記のリブログ元の記事で、中川真耶加やポリーニによる魅力的な「ショパン風のモーツァルト演奏」について書いた。

それでは、ショパン風でも他の何風でもない、「モーツァルトらしいモーツァルトのピアノ演奏」とはどんなものだろうか。

人によってそのイメージは異なるだろうが、私にとっては、玉を転がすように軽やかなタッチで奏され、優美で典雅で繊細で、ロマン的な味つけやペダルの使用は控えめで、感情的な「タメ」や「崩し」が少なく均整が取れていて、快い疾走感がありべたつかない、そんな演奏である。

 

 

「モーツァルトらしいピアノ演奏」をする人として私が思い浮かべるのはまず、ブルーノ・ワルター、エトヴィン・フィッシャー、ヴァルター・ギーゼキング、イングリット・ヘブラー、パウル・バドゥラ=スコダ、ヴァルター・クリーン、クリストフ・エッシェンバッハ、ティル・フェルナー、マーティン・ヘルムヘン、マリオ・へリングといった独墺系のピアニスト。

それから、クララ・ハスキル、ロベール・カサドシュ、マリア・ジョアン・ピリス、マレイ・ペライア、アンドラーシュ・シフ、ルイ・ロルティ、ポール・ルイス、セドリック・ティベルギアン、ジュリアン・リベール、シャルル・リシャール=アムラン、クレマン・ルフビュル、イスマエル・マルゲンといった人たちで、やはり西欧系ピアニストがほとんど。

これだけロシア系ピアニストや東アジア系ピアニストの隆盛する現代においてさえ、「モーツァルトらしい演奏」をするのは相変わらず西欧系ピアニストばかりなのも面白い。

対照的に、「ショパンらしい演奏」や「リストらしい演奏」は、現代ではロシア系や東アジア系ピアニストの独壇場となっている。

整然たる調和に重きをおく西欧と、情や詫び寂びに重きをおく東欧・アジア。

ピアノ演奏の趣に東西の別を感じるのは、私だけだろうか。

 

 

ただ、東のピアニストにも「モーツァルトらしい演奏」をする人がいないわけではない。

私がいま思いつく限りでは、3人いる。

みな日本のピアニストである。

これは日本のピアニズムの多様性の賜だと私は考えているのだが(それについての記事はこちら)、話がそれるのでここでは繰り返さない。

 

 

ともあれ、モーツァルトらしいピアノを弾く東のピアニスト。

まず1人目は、佐藤卓史。

彼が2012年の浜コンで弾いたモーツァルトのピアノ四重奏曲第2番は、それ以降も毎回課題曲として多くのピアニストが弾いているこの曲の演奏の中でも、私の中でのモーツァルトのイメージに最も近いものだった。

せっかくなので演奏動画を載せたかったのだが、見つからない(なおCDにはなっている)。

 

 

2人目は、平間今日志郎。

彼が2019年の仙台コンクールで弾いたモーツァルトのピアノ協奏曲第15番は、モーツァルトの中期ピアノ協奏曲から1曲が課されていたこのときのファイナリストたちの演奏の中でも、私の中でのモーツァルトのイメージに最も近いものだった(ミスは多かったけれど)。

なお、この演奏動画はコンクール終了後しばらくの間はYouTubeにアップされていたが、今は削除されている。

 

 

そして3人目は、古海行子。

彼女の実演を聴いたモーツァルトのピアノ協奏曲第26番「戴冠式」は、何とも忘れがたい名演だった(その記事はこちら)。

録音では、ピアノ協奏曲第21番が聴ける。

 

 

大変な名演である(ミスは多いけれど)。

この曲では、私はピリス盤やシフ盤が長らく好きだったが、古海行子のこの演奏はそれらを超えたと言っていいかもしれない。

下記のリブログ元の記事では、中川真耶加の演奏をポリーニにたとえたけれど、古海行子の演奏を誰かにたとえるなら、アンスネスあたりが妥当か。

 

 

違う曲だが、演奏は共通したところがあるように思う(もちろん違う点も多々あるけれど)。

2人とも、きわめて軽やかで歯切れのよい、かつ滑らかで洗練されたタッチを持つ。

これぞまさしくモーツァルト。

その洗練されていることといったら、上に挙げた多くのモーツァルト弾きの誰にも劣らないほど。

また、その音色は、多くのモーツァルト弾きのように柔らかく温かというよりは、むしろ少しひんやりとしたソリッドな質感を持つものとなっており、それがまるで上質の陶器のような、清らかで混じり気のない印象をもたらす。

モーツァルトらしい演奏の中でも、特別な洗練と清涼感を持った「今風のモーツァルト」とでもいえようか。

ともかくもアンスネス-古海行子ラインのモーツァルトは、リブログ元の記事に書いたポリーニ-中川真耶加ラインのモーツァルトの魅力と鮮やかに対照をなす「モーツァルトらしい」魅力を持ち、なおかつ現代的なセンスにも富んだ、大変貴重な存在である。

 

 

蛇足だが、上記のような私のイメージする「モーツァルトらしい演奏」でなければならないということではなく、それ以外にも素晴らしいモーツァルトの演奏はたくさんある。

日本のピアニストに限っても、下記のリブログ元の記事に挙げた中川真耶加のほか、天使のように美しく開放的な井上直幸や藤田真央のモーツァルトは筆頭に挙げなければなるまいし、より抑制的・内省的で繊細な内田光子や牛田智大のモーツァルトも印象的だし、大変にロマンティックで蠱惑的な山本貴志や小林愛実のモーツァルトも忘れがたい。

日本人以外も含めるとなると、ここでは到底挙げきれない。

色々なモーツァルトがあっていい、ということだろう。

 


 

 


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