Bunkamura30周年記念
テオドール・クルレンツィス&ムジカエテルナ 初来日公演
【日時】
2019年2月10日(日) 開演 15:00
【会場】
Bunkamuraオーチャードホール (東京)
【演奏】
指揮:テオドール・クルレンツィス
ヴァイオリン:パトリツィア・コパチンスカヤ *
管弦楽:ムジカエテルナ
【プログラム】
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35 *
チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」
※アンコール(ソリスト) *
ミヨー:ヴァイオリン、クラリネット、ピアノのための組曲 op.157b より 第3曲 Jeu
リゲティ:バラードとダンス(2つのヴァイオリン編)
ホルヘ・サンチェス=チョン:“クリン” 1996 - コパチンスカヤに捧げる
クルレンツィス指揮ムジカエテルナの初来日公演を聴きに行った。
長らく楽しみにしていた公演である。
プログラムの前半は、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。
ソリストは、パトリシア・コパチンスカヤ。
この曲で私の好きな録音は、
●五嶋みどり(Vn) アバド指揮ベルリン・フィル 1995年3月ベルリンライヴ盤(Apple Music/CD)
●五嶋みどり(Vn) フロール指揮NHK響 2002年6月24日東京ライヴ動画
●ユリア・フィッシャー(Vn) クライツベルク指揮ロシア・ナショナル管 2006年4月セッション盤(NML/Apple Music/CD)
あたりである。
私はこの曲が大好きであり、上記の3種の録音のように端正な解釈でぜひ聴きたい。
今回のコパチンスカヤらの演奏は、彼らが出している同曲のCDと同様、きわめて個性的な解釈に基づくものだった。
個性的というより、むしろ異端的と言ってもいい。
テンポはあちこちで変わり、ところどころ異様に速くなるし、また強弱の付け方もなんとも独特。
こういった工夫によって俄然面白くなる曲もあるとは思うのだが、この曲はそうでなく、心にまっすぐ訴えかけるところが持ち味だと思っている私としては、今回の演奏からは残念ながらあまり心動かされなかった。
また、コパチンスカヤは、速弾きの箇所であっても音程などなかなか確かなのだが、それでも音がやや荒れるときもあり、上述の五嶋みどりやユリア・フィッシャーほどの完成度とはいえない(そういうところを目指してはいないのかもしれない)。
むしろ、アンコールでコパチンスカヤと共演したクラリネット奏者やコンサートマスターのうまさが光っていた。
コパチンスカヤが「このムジカエテルナというオーケストラは、ソリストにもなれるハイレベルな奏者たちの集まりだ」というようなことをアンコール前のスピーチで言っていたが、確かにそのとおりだった。
プログラムの後半は、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。
こちらの演奏は、先ほどのヴァイオリン協奏曲とは打って変わって、演奏家の個性が曲そのものを壊してしまうことなく、この曲に内在する激しい情熱を、強い推進力とさわやかな明快さをもって表現しつくした名演であった。
西本智実のように、この曲を「人生の慟哭」として表現したずっしりと重い演奏とは全く異なるアプローチだが(その演奏会について以前書いた記事はこちら)、私としては西本智実とクルレンツィス、どちらの解釈も捨てがたい。
ちょうど、フルトヴェングラーとムラヴィンスキーの同曲演奏の優劣をつけるのが困難であることとよく似ている。
先ほどのヴァイオリン協奏曲と同様、こちらの「悲愴」についてもクルレンツィス&ムジカエテルナはすでにレコーディングしている(そのCDについて以前書いた記事はこちら)。
このときの記事にも書いたが、このCDを聴いて私は大きな感銘を受けるとともに、「これほど起伏の大きな表現が、実演ではどのように響くのだろう」という疑問を抱いていた。
今回実演を聴いてみると、デュナーミクの表現は録音におけるそれと比べ、より自然であった。
CDにおける冒頭のファゴットの最弱音は、さすがに実演でここまでの弱音は無理ではないかと思っていたのだが、はたして実演ではもう少し大きめに、一般的な演奏に近い自然な弱音として聴こえた(CDでは音量レベルを若干編集しているのかもしれない)。
ただ、第1楽章の第2主題部の終盤、ロマンティックな名旋律である第2主題がクラリネットによって繰り返され、バス・クラリネットへと受け継がれる部分では、CDで聴く以上の、考えうる限りの繊細な最弱音が聴かれた。
これほど繊細な音は、他のオーケストラからは聴いたことがない。
そして、その後の展開部では一転して嵐のような激しさをみせる。
それでいて、クルレンツィス&ムジカエテルナらしい明晰さを失わない。
このあたりの印象はCDと同じだが、この後の再現部でのクライマックスにおける迫力は、実演ならではのすさまじいものであった(特にティンパニの硬い音色!)。
この迫力は、終楽章の展開部終盤(あるいは二部形式の後半第1主題部の終盤というべきか)におけるクライマックスにおいても、全く同様だった。
こういった最弱音の繊細さや最強音のすさまじさは、録音ではなかなか再現することができない、実演ならではの良さなのだと改めて実感させられた。
次はぜひまた実演で、彼らの演奏するモーツァルトやパーセルを聴いてみたいものである。
ところで、クルレンツィスは人気指揮者だけあって、今回の演奏会は全席完売、そのうえ立見席まで用意されていた。
そして、おそらくみな大ファンなのだろう、物音をたてる人はほとんどおらず、また第3楽章と終楽章との間での拍手(終わったと勘違いして拍手してしまいがち)も今回は全くなかった。
さらには、終楽章の最後の一音が終わってから30秒間ほど続いた無音の時間(この間クルレンツィスは身じろぎせず曲に入り込んでいた)、この途中で静寂を破り拍手をしたり音をたてたりする人も、一人もいなかった。
本気の聴衆が数多く集った、稀有な演奏会だったといえるだろう。
(画像はこちらのページよりお借りしました)
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