(クルレンツィスの新譜 チャイコフスキー「悲愴」) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。

好きな指揮者、テオドール・クルレンツィスの新譜が最近発売された。

チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」である。

HMVによる紹介文を引用する。

 

 

 

 

 

チャイコフスキー:交響曲第6番『悲愴』
テオドール・クルレンツィス&ムジカエテルナ
天才か、悪魔か・・・
ギリシャの鬼才が放つロマン派の交響曲!


モーツァルトのオペラ三部作『フィガロ』『コジ』『ドン・ジョヴァンニ』で話題をさらったギリシャの鬼才指揮者クルレンツィスの新作は、なんとチャイコフスキーの『悲愴』交響曲!
 これまでにもショスタコーヴィチの交響曲をはじめ、ソニー・クラシカルに移籍してからもストラヴィンスキーの『春の祭典』や『結婚』、またチャイコフスキーではコパチンスカヤをソリストに迎えた『ヴァイオリン協奏曲』はありましたが、交響曲レパートリーとしては移籍後初のものとなるという点でも大きな話題をさらうことは間違いないでしょう。今後はマーラーの交響曲やベートーヴェンの交響曲チクルスにも取り組むとアナウンスされていますが、この『悲愴』は、オーケストラ指揮者としてのクルレンツィスにさらなる注目を集める1枚になるはず。
 チャイコフスキーはクルレンツィスにとって、モーツァルト、マーラーと並ぶ「3つの神」の一人。これまでの全ての録音で、既成概念をぶち破る、全く新しいコンセプトで構想された演奏を発表してきたクルレンツィスが、この聴きなれた交響曲からどのようなドラマや美を引き出すか、全く予断を許しません。2017年前半の日本クラシック界最大の話題盤となること間違いなし!(輸入元情報)

【収録情報】
● チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 op.74『悲愴』


 ムジカエテルナ
 テオドール・クルレンツィス(指揮)

 録音方式:ステレオ(デジタル)

 

 

 

 

 

なお、引用元のHMVのサイトはこちら

また、Apple Musicでも聴ける(こちら)。

ここに書かれた紹介文も引用しておく。

 

 

 

 

 

iTunes スタッフメモ
テオドール・クルレンツィスと彼が主宰するシベリアの古楽器オーケストラ、ムジカエテルナは、ダ・ポンテが脚本を手掛けたモーツァルトのオペラ3部作でカルト的な人気を集めた。本作に収められた待望のチャイコフスキーの交響曲「悲愴」でも、期待どおり魅力的なすばらしい演奏を聴かせてくれる。クルレンツィスの解釈は強烈なエモーションにあふれ、ムジカエテルナは細部にわたるまで注意深く指揮者の意図を再現。美しく壮大なシンフォニーを鮮やかに鳴り響かせている。お気に入りの「悲愴」がある人にも、ぜひ聴いてほしい演奏。

 

 

 

 

 

聴いてみると、まさにこの文のとおり。

パーセル、モーツァルト、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチなどにおいて、鮮烈きわまりない演奏を聴かせてくれたクルレンツィスだが、チャイコフスキーではそれが吉と出るのかどうか、私も半信半疑だった。

しかし、さすがは彼である。

ピリオド楽器らしいキレ味を最大限生かしつつも、チャイコフスキーにふさわしいロマン性も感じられる演奏になっている。

 

 

いつもの彼のとおり、今回も隅々まで表現が細かい。

冒頭のファゴットは、ともすると消え入ってしまいそうなほどの最弱音であり、ここまで弱音にした演奏は聴いたことがない。

第1主題では、最初の「ラシドーシ」(音名ではシドレード)と、次の「ラレドラドーシ」(音名ではシミレシレード)とで、音量を変える。

2回目のほうを、より小さい音で繊細に奏するのである。

芸が細かい。

その後の経過句では16分音符が連続するが、ここのレガート(滑らかに)とスタッカート(歯切れよく)の対比もきわめて明瞭で、パキッとしている。

 

 

ロマンティックな第2主題では、彼はピリオド楽器らしくさらっと行き過ぎるのでなく、かなり表情豊かにメロディを歌わせている。

クラリネットがこのメロディを繰り返すときの、あまりに繊細な弱音も、他盤からは聴けないものである。

そしてバス・クラリネットへと受け継がれ、ppppppと指示された最弱音を奏したのち、展開部で突然最強音による爆発が起こる。

ここの最弱音と最強音との幅が、かなり大きい。

ピリオド楽器でありながら、表現の起伏が他盤よりも大きく、ドラマティックな演奏となっている。

(余談だが、上記の最弱音部分でバス・クラリネットを使うのは慣例であり、本来はファゴットである。「ドン・ジョヴァンニ」などでは全てのアリアを復活させていた原典重視のクルレンツィスだが、ここで原典版に拠っていないのは、弱音が得意なバス・クラリネットを用いることで原典よりも表現の起伏を優先させたかったためか?)

 

 

展開部は、速めのテンポでキレ味鋭く、嵐が吹き荒れるように激しい表現になっている。

なおかつ、ピリオド楽器ならではのすっきりとした感じもある。

この両者の共存が面白い。

ピリオド奏法にこだわりすぎて、しなびた演奏になっていないのが良い。

一気呵成に、再現部へとなだれ込んでいく。

この、あらゆるものをなぎ倒して進んでいくような彼の表現は、重厚な西本智実盤あたりと好対照をなす。

西本智実のやり方をフルトヴェングラー盤にたとえるとしたら、クルレンツィスのほうはムラヴィンスキー盤に近い、と言っていいかもしれない。

 

 

その後の楽章も含め、大変に素晴らしい演奏である。

ただ、モーツァルトなどのように、曲本来の姿を呈した決定的な演奏かどうかといわれると、悩ましいところでもある。

モダン楽器による演奏でもいいのではないかといわれると、そうかもしれない。

西本智実のような重厚なやり方も、私には捨てがたい。

ただ、このクルレンツィス盤、個性的で魅力的な名盤の一つであることは、確かだと思う。

 

 

また、これほど起伏の大きな表現が、実演ではどのように響くのだろう、という疑問もある。

「フィガロの結婚」の幕切れで伯爵が謝る場面でも、実演では声が届かないのではないかと思われるほど繊細な歌い方であった。

この「悲愴」でも、上述のような冒頭のファゴットや展開部直前のバス・クラリネットのあれほどの弱音は、実演でも可能なのかどうか?

一度、生で聴いてみたいものである。

2019年の初来日時に、この曲もやってくれないものだろうか。

 

 


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