サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団
【日時】
2018年11月11日(日) 開演 15:00 (開場 14:30)
【会場】
文京シビックホール 大ホール (東京)
【演奏】
指揮:ニコライ・アレクセーエフ
ピアノ:ニコライ・ルガンスキー
管弦楽:サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団
【プログラム】
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 op.18
チャイコフスキー:交響曲 第5番 ホ短調 op.64
※アンコール(ソリスト)
チャイコフスキー/ラフマニノフ:子守歌 op.16-1
※アンコール(オーケストラ)
エルガー:「エニグマ変奏曲」 より 第9変奏 ニムロッド
サンクトペテルブルク・フィルの来日公演を聴きに行った。
というよりも、私にとっては、ルガンスキーの弾くラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴きに行った、というほうがより正確な言い方である。
セルゲイ・タラソフと並んで、現代最高のラフマニノフ弾きである(と私が思っている)、ニコライ・ルガンスキー。
彼がラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を弾くとなると、これはもう聴き逃すわけにはいかない。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番で私の好きな録音は、
●ラフマニノフ (Pf) ストコフスキー指揮フィラデルフィア管 1929年4月10、13日セッション盤(NML/Apple Music)
●リヒテル (Pf) ヴィスロツキ指揮ワルシャワ・フィル 1959年4月セッション盤(NML/Apple Music)
●ルガンスキー (Pf) オラモ指揮バーミンガム市響 2005年セッション盤(NML/Apple Music)
あたりである。
彼らに共通するのは、雄大なロシアの大地を思わせるような、深々とした音色と息の長いフレージングである。
今回の演奏は、どうだったか。
楽器の質の問題なのか、あるいはホールの問題なのか、ピアノの音があまりしっかりと鳴りきらず、こもったような響きがした。
それにもかかわらず、ルガンスキーの演奏は本当に大変な名演だった。
低音から高音に至るまで、あらゆる音域で深々と充実した音がする。
第1楽章第2主題や、終楽章エピソード主題といった美しいメロディが、分厚い和音になっても全く硬くならず、雪景色のような透明感を保ったまま感情の高まりが表現されてゆく。
これぞロシア、これぞラフマニノフである。
そして、第1楽章展開部~再現部、また終楽章コーダ。
こういったクライマックスの箇所ではオーケストラも大きく盛り上がるため、私がこれまでに聴いたこの曲の実演では、いずれもピアノがオーケストラの大音量に埋もれていたし、仕方ないと思っていた。
しかし、ルガンスキーの場合は違った。
オーケストラが最大音量であっても、ピアノはそれ以上の存在感で大きくも美しく響き渡り、決して埋もれないのである。
こんな体験は初めて。
間違いなく、現代聴きうる最高のラフマニノフのコンチェルトである。
聴きに行ってよかった。
余談だが、上に挙げたラフマニノフ、リヒテル、ルガンスキーというラインナップを見ると、ロシアン・ピアニズムの栄枯盛衰を思わずにいられない。
19世紀のピアノの中心がドイツやオーストリアだったのに対し、20世紀にはそれがより東方に移った、すなわちロシアン・ピアニズムの時代だった、といっても過言ではないだろう。
20世紀初頭には、ラフマニノフのみならず、スクリャービン、イグムノフ、レヴィーン、ゴリデンヴェイゼルといった巨匠たちが綺羅星のように出現し、「ロシアの時代」が始まった。
その後も名ピアニストたちが数多く輩出し、その頂点の一人が、20世紀半ばに活躍したリヒテルである。
そして21世紀初頭である現在、ロシアの才能はまだまだ健在で、ルガンスキーのみならず、ブーニン、ルデンコ、ベレゾフスキー、キーシン、タラソフ、ヴォロドス、メルニコフ、マツーエフ、ウラシン、リフシッツといった人たちがいる。
ただ、それより若い世代となると、もちろんすごい人もいるのだが、先に挙げた1970年前後生まれの世代(ソ連時代末期に教育を受けた世代)ほどの人は少なくなっているように思う。
最近のピアノコンクールを聴いていると、これからの21世紀、ピアノの中心はロシアよりもさらに東方に、すなわち東アジアへと明らかに移ってきていると感ずる。
ルガンスキーを聴くと、そんなロシアン・ピアニズムの隆盛の最後の輝きを見ているかのような、一抹の侘しさを感じてしまうのだった。
話が、少しそれた。
今回のオーケストラは、サンクトペテルブルク・フィル。
先日聴いたロシア国立交響楽団と比べ(そのときの記事はこちら)、オケの質としてはやや上かなというくらいのように感じた。
特に、金管のパワフルさ、安定感が印象に残った。
指揮者は、もともとテミルカーノフの予定だったが、体調の問題でキャンセルになり、代わりにニコライ・アレクセーエフが務めた。
サンクトペテルブルク・フィルハーモニー協会の副芸術監督とのこと。
聴いてみての印象は、少し古風な、どっしりしたタイプの演奏だった。
ルガンスキーのピアノは、上述のようにラフマニノフ自身やリヒテルのピアノと共通するところがあるとはいえ、それと同時に近代的なスマートさも備えている。
テンポ設定にも柔軟性があり、要所要所でテンポを上げ音楽を煽るのだが、アレクセーエフはそれに合わせようとせず、あくまで悠然としている(終楽章コーダの終盤は、さすがに少し速めにしていたが)。
仕掛けようとするルガンスキー、それに合わせていかないアレクセーエフ、それでも懲りずにまた仕掛けようとするルガンスキー、少し合わせるアレクセーエフ…といった感じのせめぎあいがなかなか面白かった。
後半のチャイコフスキーの交響曲第5番も、同様に悠々とした演奏だった。
テミルカーノフの場合は、第1楽章第2主題でぐっとテンポを落とすなど、テンポの揺れがある程度あるけれども、アレクセーエフの場合はそれもなく、本当にほぼイン・テンポだった。
終楽章コーダ前のパウゼ(休止)もかなり短めで、フェルマータがないかの如くあっさりしたイン・テンポだった(なお、ここで曲が終わったと勘違いし聴衆が拍手をしてしまうことが多いのだが、今回の短いパウゼはそれを防ぐ効果はあった)。
そういう違いはあったけれど、テミルカーノフと共通していた点もあって、それはロシアらしい華麗な響きである。
バレー音楽を彷彿させる華やかさ、と言ったらいいか。
私は、この曲においてはフルトヴェングラーや西本智実のように、重厚でシリアスでドラマティックな、まるでベートーヴェンやヴァーグナーのような解釈の演奏が好きなのだが、今回のようなロシアらしい演奏も悪くない。
柔軟性には欠けるものの、古き(佳き?)ロシアに思いを馳せることのできる演奏だった。
(画像はこちらのページからお借りしました)
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