ロシア国立交響楽団 滋賀公演 西本智実 チャイコフスキー 交響曲第6番 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

西本智実指揮

ロシア国立交響楽団≪スヴェトラーノフ・オーケストラ≫

 

【日時】

2018年9月21日(金) 開演 18:30 (開場 18:00)

 

【会場】

ひこね市文化プラザ グランドホール (滋賀)

 

【演奏】

指揮:西本智実

ヴァイオリン:川畠成道 *

管弦楽:ロシア国立交響楽団≪スヴェトラーノフ・オーケストラ≫

 

【プログラム】

チャイコフスキー:「エフゲニー・オネーギン」 より ポロネーズ

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 *

チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 「悲愴」

 

※アンコール(ソロ) *

タレガ(おそらくリッチ編):アルハンブラの思い出

 

※アンコール(オーケストラ)

チャイコフスキー:「白鳥の湖」 より マズルカ

 

 

 

 

 

西本智実のコンサートを聴きに行った。

オール・チャイコフスキー・プログラム。

オーケストラは、ロシア国立交響楽団≪スヴェトラーノフ・オーケストラ≫。

このオーケストラは、やや大味かなという印象。

一昨年に西本智実がチャイコフスキーの交響曲第5番を振ったモンテカルロ・フィルのほうがよほど洗練されていたし(そのときの記事はこちら)、普段よく聴く日本のオーケストラでさえ、もっと丁寧で整っている気がする。

ただ、その分どこかパワーがあり、出てくる音の柄の大きさは日本のオケにはないものである。

また、日本のオケのような無色に近い音ではなく、音色に独特なアンティーク調の色合いがあった。

 

 

西本智実の指揮は、いつもながら言うことなし。

最初のポロネーズからして、低弦の歌わせ方がずっしりと豊かで、聴かせる。

次のヴァイオリン協奏曲では、ソリストの川畠成道は美しく柔らかい音を持つものの、ルバートにポルタメントにやたら味付けが濃く、つんのめるようにテンポが変わったり、音程も不安定だったりと、あまり好みでなかったのだが、オケのほうは安定した充実の演奏だった。

なお、ソリストのアンコールの「アルハンブラの思い出」は完成度の高い名演だった。

ヴァイオリニストの演奏会で、コンチェルトはいまいちでもアンコールで見違えるほど良くなる、ということがたまにあるのだが、なぜなのだろう?

 

 

そして、後半はチャイコフスキーの「悲愴」。

これこそは、今回の白眉だった。

現代の指揮者のうち、伝説の名指揮者フルトヴェングラーに最も近い演奏だと思う。

どっしりと重厚で、それでいて決して鈍重にはならず、しなやかで柔軟。

局所の表現のこだわりだとか、あるいはびしっとそろったアンサンブルのキレの良さだとか、そういったところで勝負するタイプの演奏ではない。

悠揚とした、簡単には動かない厳しいテンポ設定のもと、じりじりと少しずつ音楽を高揚させ、いつの間にか激しい闘争や大きな熱狂、あるいは暗い絶望へと聴き手を惹きこんでしまう。

音楽を一つのドラマとして大局的に捉えた演奏である。

その意味で、来年鳴り物入りで来日し「悲愴」を振る予定のキレ者指揮者、クルレンツィスの解釈と好対照をなす。

ちょうどフルトヴェングラーの「悲愴」が、同時代の泣く子も黙るソ連の辣腕指揮者、ムラヴィンスキーの解釈と好対照をなしていたのと同様に。

私としては、そのどちらの解釈も捨てがたいのだが。

 

 

ともあれ、西本智実の「悲愴」。

第1楽章の展開部では、ムラヴィンスキーやクルレンツィスのように追い立てるような速いテンポを採ることはせず、ちょっとやそっとでは動かない重厚なテンポで、じわじわと激しい闘争を表現していく。

聴き手は、おののくばかり。

5拍子のワルツである第2楽章も、ずっしりと重くてワルツなんてものではないのだが、この豊かに膨らむ低弦の感動的な味わいはいかばかりのものだろう。

中間部ではさらにもう少しだけテンポを落とし、嘆きの歌を心ゆくまで歌い上げる。

推進力で聴かせるはずの第3楽章も遅めのテンポであり、速い走句の明瞭度も決して高くないのだが、そんなことはおかまいなしにじりじりと音楽を盛り上げていく。

こうして最終的に聴き手が連れてこられるクライマックスの熱狂は、他の演奏が及びもつかないほどの迫力となる。

そして、終楽章。

憧れそのもののような第2主題が大きく高まり感極まっていく、そのロマン的な感覚。

また、最後にその夢のような第2主題が今度は短調に変わり絶望へと沈んでいく、低弦の持続する弱音の重い存在感。

こういったセンスは、きっと天性のものであって、真面目に勉強すれば身につくようなものではないのだろう。

フルトヴェングラーはさらにすさまじかったのだろうけれど、それでも西本智実は、現代においては稀有な存在だと思う。

 

 

そんな私の、ささやかな願い。

誰か西本智実に、ぜひベルリン・フィルやウィーン・フィルのような、最高のオーケストラを振る機会を作ってほしい。

そうすれば、うまくいくと本当に信じられないほどの名演が生まれる可能性がある、と私は思っている。

あと、もう一つ。

彼女はカルロス・クライバーと同じくらい、自身のレパートリーを限定する傾向にあるように思うのだが、ぜひこれをもっと広げてほしい。

特に、ヴァーグナー。

それも、とりわけ「トリスタン」と「指環」。

これらをいつか振ってはくれないものだろうか。

きっと最高の名演になると思うのだが。

 

 

 

(画像はこちらのページからお借りしました)

 

 


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