今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。
新春ということで、特別企画である(大した企画ではない)。
1年余り前、好きなピアニストを50人挙げてみる、ということをした。
今となっては多少入れ替えたい気持ちもあるが、毎年のように入れ替えていてはきりがないし、それに、この50人は今でも変わらず好きなピアニストばかりである。
これはこれとしてこのまま置いておいて、今度は代わりに、好きな指揮者を50人挙げてみたいと思う。
なお、ここではクラシック音楽の、かつオーケストラの指揮者に限ることとする(現代楽器のオーケストラか古楽器のオーケストラかは問わない)。
アルトゥーロ・トスカニーニ(1867 - 1957)
ウィレム・メンゲルベルク(1871 - 1951)
ピエール・モントゥー(1875 - 1964)
ブルーノ・ワルター(1876 - 1962)
ヴァーツラフ・ターリヒ(1883 - 1961)
オットー・クレンペラー(1885 - 1973)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886 - 1954)
ハンス・クナッパーツブッシュ(1888 - 1965)
フリッツ・ライナー(1888 - 1963)
エーリヒ・クライバー(1890 - 1956)
カール・ベーム(1894 - 1981)
エフゲニー・ムラヴィンスキー(1903 - 1988)
ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908 - 1989)
ジャン・フルネ(1913 - 2008)
レナード・バーンスタイン(1918 - 1990)
スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ(1923 - 2017)
ピエール・ブーレーズ(1925 - 2016)
ミヒャエル・ギーレン(1927 - )
コリン・デイヴィス(1927 - 2013)
パーヴォ・ベルグルンド(1929 - 2012)
ニコラウス・アーノンクール(1929 - 2016)
カルロス・クライバー(1930 - 2004)
クラウディオ・アバド(1933 - 2014)
ジョン・ジョージアディス(1939 - )
エド・デ・ワールト(1941 - )
ジョン・エリオット・ガーディナー(1943 - )
ジェームズ・レヴァイン(1943 - )
フィリップ・ヘレヴェッヘ(1947 - )
シルヴァン・カンブルラン(1948 - )
湯浅卓雄(1949 - )
ケント・ナガノ(1951 - )
セミヨン・ビシュコフ(1952 - )
鈴木雅明(1954 - )
サイモン・ラトル(1955 - )
ミハイル・プレトニョフ(1957 - )
マーティン・イェーツ(1958 - )
アントニオ・パッパーノ(1959 - )
シモーネ・ヤング(1961 - )
藤岡幸夫(1962 - )
パーヴォ・ヤルヴィ(1962 - )
飯森範親(1963 - )
沼尻竜典(1964 - )
西本智実(1970 - )
クリスティアン・アルミンク(1971 - )
キリル・ペトレンコ(1972 - )
テオドール・クルレンツィス(1972 - )
ウラディーミル・ユロフスキ(1972 - )
ヤニク・ネゼ=セガン(1975 - )
ヴァシリー・ペトレンコ(1976 - )
ヤクブ・フルシャ(1981 - )
以上である。
ピアニストのときと同様、感覚的にぱっと選んだものであり、絶対にこの50人でなければならないというわけではない。
別の日に選んだら、内容が変わりそうである。
また、全体的にピアニストのときよりも若手が少ない。
それは、ピアニストの場合は国際コンクールのネット配信を聴きさえすれば才能ある人を次々と見つけられるのに対し、指揮者の場合は有能な若手を見つける機会が少ないためと思われる。
また、指揮者の場合、器楽奏者ほどにはテクニック面のウェイトが大きくなく、むしろ往年の巨匠たちが持っていたような強いカリスマ性が重要、ということもあるかもしれない。
私は、「カペルマイスター系指揮者」よりも「アーティスト系指揮者」のほうが好みであることが多い。
つまりは、「古き良き伝統を守る職人気質の指揮者」よりも、「とびきりのセンスと個性で時代を牽引する(もしくはあえて逆らう)芸術家肌の指揮者」のほうが好きである。
もっと言うと、「多くの曲を手堅く扱える安定した指揮者」よりも、「てんでダメな曲もあるが、これをやらせたら誰にも負けない、個性的でありながらもこれぞ曲のあるべき姿と納得させられるような説得力ある演奏ができる得意曲を持っている指揮者」のほうが好きである。
上に挙げた50人のうちの多くは、そういったタイプの指揮者たちだと思う。
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