鯛中卓也 神戸公演 ショパン 3つのマズルカop.59 バラード第3番 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

ミュージアムコンサート 四季シリーズ〈秋〉

鯛中 卓也 ピアノリサイタル

 

【日時】

2018年10月28日(日) 開演 14:30 (開場 14:00)

 

【会場】

兵庫県立美術館ギャラリー棟1Fアトリエ1 (神戸)

 

【演奏】

ピアノ:鯛中卓也

 

【プログラム】

ブラームス:6つの小品 Op.118

シマノフスキ:前奏曲とフーガ 嬰ハ短調

ショパン:3つのマズルカ Op.59, バラード 第3番 変イ長調 Op.47

シューマン:交響的練習曲 Op.13 (遺作変奏付き)

 

 

 

 

 

鯛中卓也のピアノリサイタルを聴きに行った。

ただし、残念ながら用事があって、プログラムの最初と最後を聴くことができず、聴けたのはシマノフスキとショパンだけだった。

しかし、この30分間だけでも、聴きに行った価値の十分にあるコンサートだった。

 

シマノフスキも素晴らしかったけれど、やはりショパン。

マズルカ op.59の3曲と、バラード第3番。

この2つは、前回の彼のリサイタルでも聴いて、大いに感動した曲である。

そのときの記事はこちら。

 

鯛中卓也 兵庫公演 ショパン バラード第3番 3つのマズルカop.59 前奏曲op.45 ほか

 

あの名演をもう一度聴きたいと思っていたのが、今回叶うこととなった。

今回も、素晴らしいの一言。

感想は上の記事に書いたものとほぼ同じであり、細かくは繰り返さない。

 

 

前回と今回との違いはというと、演奏の完成度がさらに少し上がっていたこと。

また、今回は前回よりも小さめのホールであり、前回のような豊かな音響は聴かれなかったが、そのぶんピアノの直接音を楽しむことができたこと。

そして、前回はほぼ正面から聴いたのだが、今回は右のほうから聴いたため、手の動きが見えなかった代わりに、ペダルの踏み方がよくわかったこと、などである。

彼のペダルは基本的に深めなのだが、マズルカop.59-1など、同じような和声が続くところでも、一拍ごとに踏みかえる場合と、一小節ずっと踏みっぱなしの場合とが使い分けられていた。

濁りそうで濁らない彼の幻想的なペダリングは、きっと細かな工夫の賜なのだろう。

 

 

鯛中卓也の弾くショパンのマズルカop.59とバラード第3番は、ともに同曲の最高の名演の一つと言っていいと思う。

大変個性的な演奏なのだが、同じ個性的といってもオソキンスやボジャノフのように人工的な感じのするものとは異なり、音楽の呼吸はあくまで自然である。

歌心にあふれている、と言ったらいいか。

マズルカop.59-1、2といい、バラード第3番といい、冒頭からすでに絶妙な抑揚とテンポ・ルバート(テンポの揺らぎ)で、聴き手をぐっと惹き込む。

こんなルバートが、パデレフスキやコルトーの時代でなく現代において、生で聴けようとは。

そして、バラード第3番で、第1主題がひと段落した後、たゆたうような舟歌風のリズムによる右手の前奏と(なお、ここは前回かなり大きめの音で奏され驚いたが、今回は抑制されており興味深かった)、それに続いて現れる第2主題。

ここの美しさは、格別というほかない。

何気ないメロディなのだが、彼の演奏で聴くと、夢見るがごとく陶然としてしまう。

 

 

上に載せた前回の演奏会の記事にも書いたように、バラード第3番の演奏は(私にとって)今のところ山本貴志と鯛中卓也が双璧となっている。

山本貴志は展開部から再現部、そしてコーダへと続く一連のドラマを重視して、激しい闘争から輝かしい勝利へのドラマティックな流れを作り出す。

ベートーヴェンのやり方をロマン派風に消化吸収発展させたともいうべき、ショパンの面目躍如である。

それに対し、鯛中卓也はそういった起承転結を作り出さない。

落ち着いた夢幻的な雰囲気が、最後まで続くのである。

闘争も勝利も向こう側の世界で生起しているような、自身はあくまで夢の中にでもいるような、そんな感覚がする。

同じようなことが、マズルカop.59-3にも言える。

山本貴志の場合きわめて激烈な祖国への思いとなるこの曲が、鯛中卓也が弾くとまるで暗い幻影のようになる。

彼のこうした落ち着いた姿勢、決して覚醒しない幻想性は、ときに貴族的な要素さえ感じさせる。

 

 

鯛中卓也が最も尊敬しているピアニストは、以前聴講した彼の講演会での口ぶりからすると、おそらくコルトーだと思われる。

確かに、彼の美しい音やルバートからは、コルトー的な要素も多々感じられる。

しかし、彼とコルトーとは、全体としては私の中でイメージが少し異なる。

コルトーの演奏を生で聴いた野村光一の文章を、以前別の記事に引用したことがある。

 

高御堂なみ佳 2019年1月の演奏会予定

 

この野村氏の文に書かれているように、コルトーの音は派手で華やかであり、鯛中卓也のイメージとは少し違う。

彼は、上に書いたような「貴族的な落ち着き」「高貴な暗い幻想性」をもつ点で、私の中ではどちらかというとパデレフスキに近いイメージとなっている。

 

 

結局長々と書いてしまったが、とにかく一度聴いてみてほしいピアニストである。

現代のピアノ演奏を聴き慣れた人には、もしかしたら彼の技巧的な弱さが気になる場合もあるかもしれない。

しかし、できればそういったところのみに気をとらわれずお聴きいただければと思う。

なお、パデレフスキやコルトーを聴き慣れている人であれば、全く問題ない。

 

 

今回聴けなかったブラームスのop.118とシューマンの交響的変奏曲も、きっと名演だったことと思われる。

いつかぜひ聴いてみたい。

 

 

 

(画像はこちらのページよりお借りしました)

 

 


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