今回は演奏会の感想でなく、別の話題を。
先日(2018年6月12日)、フランソワ=グザヴィエ・ロトとレ・シエクルが来日し、オペラシティで公演を行った。
ドビュッシーの「牧神の午後」前奏曲と「遊戯」、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」、それからストラヴィンスキーの「春の祭典」というプログラム。
相当な評判だったようで、いまいちだったという感想を一つも見かけないほど。
今回の来日では関西公演がないばかりか、このオペラシティの一公演のみだったようである。
せっかくの来日なのに、もったいない。
私もぜひ聴きたかった。
ロト指揮レ・シエクルによるCDはすでに何種類も出ていて、私もよく聴いている。
レ・シエクルというのは、かなり厳密に20世紀当初の楽器を取りそろえた、ピリオド楽器の団体のようである。
「春の祭典」の録音が出ているが、当時の楽器で奏されると非常に味わい深く、この曲のとげとげしい感じがかなり薄れて聴きやすくなっている。
カップリングの「ペトルーシュカ」では、特に当時のピアノの鄙びた音色が大変魅力的である。
他には、ドビュッシー「海」やラヴェル「ダフニスとクロエ」の録音もあり、これらも各楽器の音色の美しさが際立っている。
演奏の質も高く、品も良い。
なかなかの名盤といえるだろう。
ただ、例えばこの「春の祭典」では、カンブルランのような響きの調和の美しさ、ネゼ=セガンのような細部の表現の繊細さ、クルレンツィスのような圧倒的な推進力やキレ味、こういった飛びぬけた個性が、ロトの場合は何なのかというと、私にはまだよく分からない。
「海」や「ダフニスとクロエ」にしても、ネゼ=セガンが振ると夜明けの光の移ろいや、水の滴の一つ一つの煌めきまで見えてくるような繊細な表現力が聴かれるのに対し、ロトの場合はもっと淡々としていて素直な解釈、といった印象である。
この淡々としたところが彼の個性であり、ギーレンあたりに通ずる現代音楽向きの指揮者ということで、SWR響の指揮者に選ばれた、ということなのかもしれない。
だが、ギーレン・タイプの指揮者だとしても、もうひと押し、何かプラスアルファの個性が欲しいような気もしてしまう。
もしそれがあったならば、上記の指揮者たち、カンブルランやネゼ=セガン、クルレンツィスといった大好きな指揮者の仲間入りをすると思うのだけれど。
とはいえ、彼の本当の良さは、やはり実演を聴いてみないと分からないのかもしれない。
次の来日の機会には、ぜひとも聴いてみたいものである。
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