(五嶋みどりとミュージック・シェアリング) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想でなく、別の話題を。

一昨日聴いた、五嶋みどりの演奏会(その記事はこちら)。

私は、まだそのときの感動で頭がいっぱいである。

 

 

ところで、この演奏会は、ミュージック・シェアリングというNPOの活動報告の場として設けられている。

演奏の合間に、活動報告のプレゼンがなされた。

五嶋みどりを含む4人のカルテットのメンバーで、日本およびアジア各国の病院に出かけ、病院や支援学校でボランティアとして演奏する、という活動である。

普段、音楽や芸術に触れる機会の少ない方々にも、ぜひ音楽を届けたい、そういう思いで活動を続けているとのことだった。

活動メンバーの中には、オーボエ奏者の荒絵理子やバンドネオン奏者の三浦一馬の名前もあった(彼らは、さすがに国内だけなのだろうけれど)。

 

 

最近は、アジアの中でもインドに行ったとのこと。

活動については知っていたとはいえ、実際に活動報告の動画を見ると、相当に厳しい環境の場所にまで足を運んでいるのだな、と驚かされた。

インドの奥地、道なき道を行くような場所。

「五嶋みどりは人類の至宝」「時代を切り開いた代表的ヴァイオリニストは、19世紀のパガニーニ、20世紀のハイフェッツ、21世紀の五嶋みどり」というような考えでいる私としては、何かあったら大変と気が気でない。

しかし、インドの強い日差しに焼けながらインタビューに答える彼女を見ていると、何というか、逞しさを感じた。

お母さんの厳しい指導に泣きべそをかいていた子供時代や、あまりにも大きな精神的負担により苦しんだ青年時代、彼女が今もそういった頃のままだと思っていたわけでは、もちろんない。

ないのだけれど、インドの地で活躍する彼女の姿を見ていたら、何とも逞しくて驚いたというか、神々しいとすら思った。

 

 

若手のカルテットメンバーにとっては、こうした環境は慣れておらず、精神的に苦しかったこともあったらしい。

それでも、自分の奏でる音楽の意義など、色々なことを考える良い機会になったとのこと。

こういうことは、行ってみないと分からない、実感できないことも多々あるのだろう。

五嶋みどりとの活動から、若い世代の音楽家たちは重要なことを受け継いでいる。

また、ミュージック・シェアリングには、楽器指導支援プログラムもあるとのこと。

有名なエル・システマもそうだけれど、こうした草の根活動は、多くの人たちが音楽に触れるための重要なきっかけになるとともに、逆に現在どんどん収束してしまっているクラシック音楽のすそ野を広げるための活性化剤にもなりうるのではないだろうか。

 

 


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