(行ってみたい演奏会 その29 フルトヴェングラーのマーラー「大地の歌」) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。

今回も、「もしもタイムマシンがあったなら行ってみたい演奏会」シリーズの続きである。

ここ数回で、フルトヴェングラーの指揮によるマーラーの交響曲第1~4番を取り上げた。

この流れだと、次は交響曲第5番ということになるけれども、実はそうはならない。

というのも、フルトヴェングラーはマーラーの交響曲第5~9番を、生涯に一度も演奏したことがないようなのである。

確かに、マーラーの第5番以降の交響曲、すなわち20世紀に入ってから書かれた交響曲は、マーラーならではの複雑な書法がどんどん顕著になり、それこそ狂気をはらんだかのような様相を呈してくる。

複雑な現代人の心の内のような繊細さや脆さをもつこれらの曲は、どっしり構えた19世紀的な悠然たるスケール感に根差したフルトヴェングラーの音楽性とは、相いれなかったのかもしれない。

 

 

そんな中、マーラーの第8番と第9番の間に書かれた交響曲「大地の歌」については、フルトヴェングラーはその生涯にただ一度だけ指揮している。

下記の演奏会である。

 

1916年11月21日、マンハイム

指揮:フルトヴェングラー

管弦楽:マンハイム歌劇場管弦楽団

プログラム

Mahler: das Lied von der Erde (Ottilie Metzger-Lattermann, Max Lippmann)

Beethoven: Symphony No. 6

 

フルトヴェングラーはこのとき30歳。

若きフルトヴェングラーは、このときまだ書かれて10年も経っていなかったこの曲に、大きな関心があったのかもしれない。

そして、演奏してみて「やっぱりこの曲は自分の本領とは違う」とでも思ったのだろうか。

いずれにしても、どのような演奏だったのか、聴いてみたいものである。

 

 

ただしタイムマシンはまだないし、またこの演奏会のライヴ録音も残されていないので、代わりに下記の録音を聴いた。

 

●ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」 フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル 1952年11月24~25日セッション盤(NMLApple MusicCD

 

(なお、マーラーの交響曲「大地の歌」は、フルトヴェングラーによる録音が残されていないため割愛)

 


録音技術者のフリードリヒ・シュナップ博士に、「ベートーヴェンの<田園>を指揮するには、アーダルベルト・シュティフターを読まねばならない」と語ったという、フルトヴェングラー。

そんな彼の雄大きわまりない「田園」が聴ける。

今ではもう見られない19世紀の田園風景が、ここにはある。

 

 


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