(かつての繁栄へのノスタルジー) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。

前回の記事で、映画「タイタニック」について触れた(その記事はこちら)。

なぜ、この映画が好きか。

この映画に、私はノスタルジーを覚えるのである。

 

 

タイタニック号。

この、1912年当時世界一の豪華客船には、様々な人たちが乗っていた。

大英帝国きっての名家で、華やかだが時代の変遷に伴い没落しかけていた貴族たち。

事業が成功し、莫大な財産を手にした成金のブルジョワたち。

そして、安賃金で過酷な労働を強いられている、アイルランドの労働者たち。

こうした色々な立場の人たちが、それぞれ別のコミュニティを形成して互いに決して交わることなく、一つ船の上に集まっていたのだ。

まさに、まばゆい光と、それと同じだけの暗い影とを有した、「偉大なる19世紀」の縮図といえるのではないか。

そして、この船は「神でさえ沈めることができない」といわれ、きわめて堅牢に作られたにもかかわらず、人間の欲望と驕りのせいで、ついにはバベルの塔やヴァルハラ城さながらに沈没してしまう。

女性や子供たちを優先的に助ける男性たち、じたばたせずに悠々とした態度でブランデーを飲みながら死にゆく老紳士、助からない人たちのために最後まで音楽を奏でる演奏家たち―こうしたジェントルマンシップ、いわば中世の騎士道の最後の残滓も、この壮大な船とともに沈んでいった。

まさに、「偉大なる19世紀」の終焉そのもののように、私にはみえる。

 

 

人間の長い長い歴史では、ほとんどの期間において、ヨーロッパと中東と東アジアとが、絶妙な均衡を保ちながら生活していた。

ただ、古代ローマ帝国やモンゴル帝国など、何らかのきっかけでブレイクスルーが起こり、その均衡を突破してより広大な地域を支配するようなことが、ときにみられた。

19世紀のヨーロッパの隆盛も、その一つに数えていいだろう。

産業革命をきっかけとして、小さな島国イギリスは強大な国家になり、世界の「七つの海」を全て支配するようになったし、それに続いてヨーロッパ諸国が先を争って世界各国を植民地化していった。

しかし、古代ローマにしてもモンゴルにしても、終わりのない繁栄はない。

1900年前後をピークとして、あれほどの隆盛を誇ったイギリスとそれに代表されるヨーロッパ社会は、その勢いに影が差し、アメリカに押されるようになる。

そして、二度の大戦を経て、広大な植民地のほとんどを失い、「ヨーロッパの時代」は終わりを迎えた。

「世界の上のヨーロッパ」は、タイタニックと共に沈んでいったのだった。

 

 

ところで、私は日本人だし、また19世紀に生きたこともない。

それなのに、なぜこの映画にノスタルジーを感じるのか。

それは、おそらく二つの理由によるだろう。

一つ目は、私がヨーロッパ音楽、いわゆるクラシック音楽が好きだからである。

ヨーロッパの音楽であるクラシック音楽は、当然かもしれないが、ヨーロッパ自体の繁栄・没落と軌を一つにしていた。

18世紀末のモーツァルトあたりを端緒に、音楽家たちは、王侯貴族に仕える「職人」から、独立した「芸術家」へと変貌を遂げた。

19世紀のロマン派の音楽家たちは、先達が大事にしてきた「型」をどんどん打ち破っては個性溢れる作品群を作ったし、社会的な影響力も増していった。

ヴァーグナーはドイツのみならずヨーロッパ中に影響を及ぼし、その範囲は音楽にとどまらず文学や政治の分野にもわたった。

そしてバイエルン国王ルートヴィヒ2世の寵愛を受け、絢爛きわまるバイロイト祝祭劇場を建造し、政治に口出しもした。

ヴェルディもイタリアで英雄視され大きな影響力を持ち、統一されたイタリア王国で上院議員にもなった。

この頃は、社会的・経済的に大きな力を持った音楽は、今でいうクラシック音楽だった。

 

 

しかし、20世紀になると、状況は一変してしまった。

マーラーやR.シュトラウスあたりを最後に、クラシック音楽の社会的影響力は急速に小さくなっていった。

1910年9月12、13日にミュンヘンで行われたマーラー交響曲第8番の初演では、アルベール1世(ベルギー国王)、バイエルン王国皇太子、ヘンリー・フォード、そして各国の文化人たちが、こぞって列席したという。

また、1911年1月26日にドレスデンで初演されたR.シュトラウスの「ばらの騎士」は大好評を博し、ベルリンからドレスデンまでの観劇客用特別臨時列車「ばらの騎士」号が走ったほどだった。

しかし、その後ヨーロッパの衰退とアメリカの繁栄とともに、クラシック音楽はジャズやポピュラー音楽にとってかわられ、オペラはミュージカルや映画にその立場を譲ることとなった。

あるいは、これは「ブルジョワジー優位の社会から一般労働者優位の社会に変わるとともに」ともいえるかもしれないし、「レコードやマイクといった科学技術的発展とともに」ともいえるかもしれない。

20世紀において、クラシック音楽はみるみるうちに音楽のニッチな分野となっていった。

そして21世紀の現在、レイフ・セーゲルスタムの交響曲の初演に各国の要人が列席することもなければ、ジョン・アダムズのオペラの初演のために臨時列車が走ることもない。

私の心より愛するクラシック音楽は、その社会的影響力のほとんどを失ってしまった。

 

 

映画「タイタニック」にノスタルジーを感じる、二つめの理由。

それは、当時のヨーロッパが、今の日本だからである。

イギリスに代表されるヨーロッパの経済的繁栄のピークが1900年前後にあった後、1950年前後にはアメリカのピークが、そして2000年前後には日本のピークがあった。

極東の小さな島国でしかない日本は、19世紀にヨーロッパの産業革命の流れにいち早く便乗することができたおかげで、その後発展を続けて20世紀には大きな躍進を遂げた。

こんなに小さな、資源も何もない島国が、GDP世界第2位までのし上がった。

しかし、そんな繁栄も長くは続かない。

1990~2000年頃をピークに、バブルははじけ、GDPは中国に抜かれ、そして今では人口さえ減ってきている。

今後、よほどのブレイクスルーでも起こらない限り、勢いは収束する一方だろう。

世界は、19世紀のヨーロッパのブレイクスルー以来、本来の均衡を取り戻しつつある。

それも、それまでのようにヨーロッパ-中東-東アジアというだけでなく、南北アメリカやアフリカ、オセアニアも含まれた、全世界での均衡である。

70億人の地球上で、1億人しかいない日本は、この均整の上では70分の1のパワーしか持たない弱小国となる。

私たちは、ピーク前後の最も幸福な時代の日本に生きているのではないだろうか。

日本で一般庶民にすぎない私は、世界的に見れば、恵まれた生活を送る特権階級にも等しい。

日本が70分の1の弱小国となったあかつきには、こんな生活を送ることは到底できまい。

食糧さえ確保できるかどうか。

 

 

音楽の話に戻すと、ヨーロッパにおける1900年前後のクラシック音楽の繁栄は、アメリカにおける1950年前後のジャズやロックの繁栄、そして日本における2000年前後のJ-POPの繁栄に、たとえられなくもない。

今から20年ほど前の日本では、ミリオンセラーのヒット曲が山ほど生みだされていた。

また、ヨーロッパにおけるオペラや演劇の繁栄は、その後のアメリカにおけるミュージカルや映画の繁栄、そして日本におけるアニメやゲームの繁栄に比べられるかもしれない。

「タイタニック」に19世紀ヨーロッパへのノスタルジーをみるのは私くらいかもしれないが、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」には1950年頃の「強きアメリカ」へのノスタルジーが露骨にみられる。

「アポロ13」にも、同様の空気を私は感じる(番外編での実際の宇宙飛行士へのインタビューでも、「あの頃のアメリカは今とは違った」といった発言が聞かれる)。

2050年頃の日本では、2000年頃の「強き日本」に思いを馳せたノスタルジックな映画が、きっとたくさん作られることになるだろう。

 

 

日本は、経済的にも文化的にも、今後衰えこそすれ、更なる発展を遂げていくことは難しいと思われる。

華やかなりし日本の沈みゆく姿を「タイタニック」に見るのは、私だけだろうか。

 

 


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