(行ってみたい演奏会 その21 フルトヴェングラーのブルックナー交響曲第6番) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。

前回に引き続き、「もしもタイムマシンがあったなら行ってみたい演奏会」シリーズの続きである。

今回は、フルトヴェングラーの指揮によるブルックナーの交響曲第6番を取り上げたい。

今回もこれまでと同様、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの演奏による、ベルリンでの演奏会で、かつ1929~1934年頃に行われたもの(できれば1929年のもの)から探してみたいと思う(その理由はこちら)。

 

 

探してみると、上記の条件に合致する演奏会はなかった。

というより、フルトヴェングラーはこの曲を、1943年にウィーン・フィルとベルリン・フィルの演奏会でそれぞれ振った以外には、おそらく生涯において指揮していない。

ブルックナーの中ではマイナーな交響曲なので、仕方がない。

1943年というと戦時中であり、タイムマシンで行くのも憚られるが、一応行くとするならばベルリン・フィルのほうか。

 

1943年11月13、14、15、16日、ベルリン

指揮:フルトヴェングラー

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

プログラム

Bruckner: Symphony No. 6

Schumann: Cello concerto (Pierre Fournier)

Strauss: Till Eulenspiegels lustige Streiche

 

メインのブルックナーの交響曲第6番に加えて、ピエール・フルニエとの共演によるシューマンのチェロ協奏曲が聴けるのは嬉しいところである。

なお、この演奏会場であるベルリンのフィルハーモニーは、世界最高の音響と謳われる名ホールだったが、この演奏会の約1週間後の1943年11月22日に空襲され、応急に修復されたものの、その約2ヶ月後の1944年1月30日に再度の空襲で完全に破壊されてしまった。

 

 

ただしタイムマシンはまだないので、代わりに下記の録音を聴いた。

 

●ブルックナー:交響曲第6番(第2~4楽章のみ) フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル 1943年11月13~16日ベルリンライヴ盤(NMLApple Music

●シューマン:チェロ協奏曲(第2楽章コーダ~第3楽章のみ) フルニエ(Vc) フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル 1943年11月13~16日ベルリンライヴ盤(NMLApple Music

●R.シュトラウス:「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」 フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル 1943年11月13~16日ベルリンライヴ盤(NMLApple Music

 

 

なんと、この演奏会のライヴ録音は残されている!

ブルックナー第6番とシューマンのチェロ協奏曲はそれぞれ欠落があるのが残念だが、いずれも美しい名演である。

当時37歳の名チェリスト、ピエール・フルニエの至芸も(この時代にしては)高音質で味わうことができる。

 

「ティル」は、これも音質は悪くはないのだが、当時のライヴ録音には限界もあって、フォルテのときの弦の迫力がいまいちよく伝わってこない。

そのため、私はこちらの録音のほうを聴くことが多い。

 

●R.シュトラウス:「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」 フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル 1930年セッション盤(CD

 

こちらはセッション録音であり、古い録音だけれど、特にオーパス蔵による復刻盤は本当に音が生々しくて、まるでコンサートホールにいるかのような気分が味わえる。

あと、フルトヴェングラーの「ティル」で忘れてはならないのが、こちらである。

 

●R.シュトラウス:「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」 フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル 1947 or 1950 or 1951年ライヴ映像

 

 

フルトヴェングラーの独特な指揮ぶりを見ることができる、貴重な映像。

指揮棒は常にぶるぶると小刻みに震えていて何とも分かりにくく、「振ると面食らう」というニックネームもむべなるかな、である。

体全体の動きも何となく素人っぽくて、例えば彼と同年代の指揮者エーリヒ・クライバーのような、スマートなカッコよさは見られない。

しかし、何とも言えないオーラがあって、圧倒される。

それに、彼のこの不思議な動きによって生み出される音楽の、なんと感動的なことだろう。

マーラーの交響曲としばしば比較され、低く見られやすいR.シュトラウスの交響詩だが、フルトヴェングラーの手になると、ベートーヴェンの交響曲のスケルツォにも匹敵するような「充実した諧謔性」をもつ、大変立派な音楽であることがよく分かる。

このような映像が残されていることに、感謝したい。

 

 


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