今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。
もう2ヶ月ほど空いてしまったが、「もしもタイムマシンがあったなら行ってみたい演奏会」シリーズの続きである。
新年になりしばらくコンサートに行く予定もないので、このテーマでしばらくぼちぼち続けていきたい。
これまで、フルトヴェングラー指揮のベートーヴェン、ヴァーグナー、ブラームスを取り上げてきた。
次は、ブルックナーに移りたい。
フルトヴェングラーのブルックナーというと、ドラマティックに過ぎる、というようなことがよく言われる。
確かに、彼のブルックナーは、一般的なブルックナーのイメージである「偉大なる神への信仰」よりは、むしろ一つの壮大な「ドラマ」を感じさせる。
キリスト教的というより、ギリシア神話的(あるいはゲルマン神話的)である、と言ってもいいかもしれない。
大いなる神に身を委ねる安心感ではなく、もっと不安な、悲劇的な闘争や葛藤のようなものが、彼のブルックナーからは聴こえてくる。
あくまでイメージに過ぎないが。
こういうブルックナーも、あっていいのではないだろうか。
私は、けっこう好きである。
それに、彼のブルックナーは、ベートーヴェンやヴァーグナー、ブラームスと比べ、セッション録音が極端に少ない(交響曲第7番の第2楽章しかない)。
当時のライヴ録音はどうしても音質に難があり、バランスが悪く(ときには過剰にヒステリックに)聴こえることも多い。
もし良質なセッション録音がもっと残されていれば、後世の評価はだいぶ違っていたのではないだろうか。
その意味でも、彼のブルックナーは、叶うことならぜひ実演で聴いてみたいのである。
前置きは、このくらいにしておく。
まず今回は、フルトヴェングラーの指揮によるブルックナーの交響曲第3番を取り上げたい。
今回もこれまでと同様、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの演奏による、ベルリンでの演奏会で、かつ1929~1934年頃に行われたもの(できれば1929年のもの)から探してみたいと思う(その理由はこちら)。
探してみると、下記の演奏会があった。
1931年2月22、23日、ベルリン
指揮:フルトヴェングラー
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
プログラム
Mozart: Symphony No. 38
Gluck: Iphigénie en Tauride, 2 Arias (Heinrich Schlusnus)
Haendel: Arioso (Heinrich Schlusnus)
Bruckner: Symphony No. 3
フルトヴェングラー全盛期の演奏会。
プログラム的にも少し凝っていて、ぜひ聴いてみたいものである。
ただし、タイムマシンはまだないので、代わりに録音でも聴きたいところだが、残念なことにフルトヴェングラーによる同曲の録音は残されていない。
また、同日のプログラムの他の曲についても、おそらく彼の録音は存在しない。
というわけで今回は、おそらく大変にドラマティックだったであろう彼のブルックナー第3番を妄想するだけにとどめる。
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