(行ってみたい演奏会 その18 フルトヴェングラーのブルックナー交響曲第3番) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。

もう2ヶ月ほど空いてしまったが、「もしもタイムマシンがあったなら行ってみたい演奏会」シリーズの続きである。

新年になりしばらくコンサートに行く予定もないので、このテーマでしばらくぼちぼち続けていきたい。

これまで、フルトヴェングラー指揮のベートーヴェン、ヴァーグナー、ブラームスを取り上げてきた。

次は、ブルックナーに移りたい。

 

 

フルトヴェングラーのブルックナーというと、ドラマティックに過ぎる、というようなことがよく言われる。

確かに、彼のブルックナーは、一般的なブルックナーのイメージである「偉大なる神への信仰」よりは、むしろ一つの壮大な「ドラマ」を感じさせる。

キリスト教的というより、ギリシア神話的(あるいはゲルマン神話的)である、と言ってもいいかもしれない。

大いなる神に身を委ねる安心感ではなく、もっと不安な、悲劇的な闘争や葛藤のようなものが、彼のブルックナーからは聴こえてくる。

あくまでイメージに過ぎないが。

こういうブルックナーも、あっていいのではないだろうか。

私は、けっこう好きである。

それに、彼のブルックナーは、ベートーヴェンやヴァーグナー、ブラームスと比べ、セッション録音が極端に少ない(交響曲第7番の第2楽章しかない)。

当時のライヴ録音はどうしても音質に難があり、バランスが悪く(ときには過剰にヒステリックに)聴こえることも多い。

もし良質なセッション録音がもっと残されていれば、後世の評価はだいぶ違っていたのではないだろうか。

その意味でも、彼のブルックナーは、叶うことならぜひ実演で聴いてみたいのである。

 

 

前置きは、このくらいにしておく。

まず今回は、フルトヴェングラーの指揮によるブルックナーの交響曲第3番を取り上げたい。

今回もこれまでと同様、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの演奏による、ベルリンでの演奏会で、かつ1929~1934年頃に行われたもの(できれば1929年のもの)から探してみたいと思う(その理由はこちら)。

 

 

探してみると、下記の演奏会があった。

 

1931年2月22、23日、ベルリン

指揮:フルトヴェングラー

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

プログラム

Mozart: Symphony No. 38

Gluck: Iphigénie en Tauride, 2 Arias (Heinrich Schlusnus)

Haendel: Arioso (Heinrich Schlusnus)

Bruckner: Symphony No. 3

 

フルトヴェングラー全盛期の演奏会。

プログラム的にも少し凝っていて、ぜひ聴いてみたいものである。

 

 

ただし、タイムマシンはまだないので、代わりに録音でも聴きたいところだが、残念なことにフルトヴェングラーによる同曲の録音は残されていない。

また、同日のプログラムの他の曲についても、おそらく彼の録音は存在しない。

というわけで今回は、おそらく大変にドラマティックだったであろう彼のブルックナー第3番を妄想するだけにとどめる。

 

 


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