松本和将 上里はな子 マルモ・ササキ 京都公演 ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第7番「大公」ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

「ピアノ三重奏」

 

【日時】
2017年12月26日(火) 開演 20:00 (開場 19:30)

 

【会場】

カフェ・モンタージュ (京都)

 

【演奏】

ヴァイオリン: 上里はな子
チェロ: マルモ・ササキ
ピアノ: 松本和将

 

【プログラム】

作曲者不詳:モーツァルト『魔笛』の「恋を知る男たちは」の主題による変奏曲(ヴァイオリンとチェロによる)

ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 変ロ長調 op.97 「大公」

 

 

 

 

 

松本和将、上里はな子、マルモ・ササキによるピアノ・トリオを聴きに行った。

松本和将と上里はな子の演奏はこれまでに何度か聴いており、ピアノ・トリオではブラームスの1番の名演が忘れがたい(そのときの記事はこちら)。

今回は、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第7番「大公」。

メンデルスゾーンの第1番、ショスタコーヴィチの第2番と並んで、私はこの曲が大好きである。

この3曲を、「三大ピアノ・トリオ」と私は勝手に呼んでいる。

 

 

ベートーヴェンの「大公」、この曲で私の好きな録音は

 

●コルトー(Pf) ティボー(Vn) カザルス(Vc) 1928年11月18、19日セッション盤(CD

●ルービンシュタイン(Pf) ハイフェッツ(Vn) フォイアーマン(Vc) 1941年セッション盤(CD

●ギレリス(Pf) コーガン(Vn) ロストロポーヴィチ(Vc) 1956年セッション(?)盤(Apple MusicCD

●オボーリン(Pf) オイストラフ(Vn) クヌシェヴィツキー(Vc) 1958年セッション盤(NMLApple MusicCD

 

あたりである。

古い録音ばかりで恐縮なのだが、この曲はどっしりした演奏で聴きたい。

最近のメルニコフ、ファウスト、ケラスによるトリオももちろんうまいのだが、ピリオド楽器を使っているということもあってか、どうも軽いのである(彼らによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタやチェロ・ソナタは大変良いのだが)。

ところで、上述した松本和将、上里はな子らによる前回のブラームスのピアノ・トリオの演奏は、大変重厚で力強いものだった。

そのため、今回大いに期待して聴いたのだったが、彼らは期待通り、どっしりしたテンポによるおおらかな名演を聴かせてくれた。

 

 

つい先日聴いた佐藤卓史の演奏会の記事では、彼の弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタを、グルダのそれにたとえた(そのときの記事はこちら)。

佐藤卓史のベートーヴェンは、スマートさ、あるいは一定の推進力、そういったある種のヴェールによって、曲に元来備わった情熱を少し覆い隠すような奥ゆかしさがある。

それに対し、松本和将のベートーヴェンは、もっとバックハウス的というか、曲全体をがっと掴んで、力強く直截的に呈示するような演奏である。

私は、どちらのベートーヴェンも好きである。

松本和将の演奏には、どしんと腹にこたえる力強さがある。

力強い音といっても、ホロヴィッツのような一種金属的なガツンとした音ではなく、もっとコクのある、ドイツ風とでもいうべきものである(それには、カフェ・モンタージュのピアノがアンティーク物のスタインウェイであることも一役買っているかもしれないが)。

彼の演奏には、「ベートーヴェンを聴いた」という充実感がある。

 

 

ヴァイオリンの上里はな子も、やはり素晴らしい。

分厚くしっかりとした、重心の低い音で、松本和将と同じく「ドイツ風」である。

音程などテクニック面も安定していて、コンチェルトでどうなるかは分からないけれど、少なくとも室内楽を聴く分には全く不満を感じない完成度の高さだと思う。

チェロのマルモ・ササキは、松本和将や上里はな子ほどの「余裕」のある演奏とは言えないにしても、かなり健闘していたと思うし、何よりも音楽の方向性をそろえて、分厚い音で他2人を支えていたのが良かった。

 

 

そんな3人の弾く「大公」は、冒頭から大変に充実していた。

じっくりとした歩みで、「ドイツ的」な重みと広がりをもって、聴き手に迫ってくる。

第1楽章のコーダや、第2楽章の中間部のフガートなど、じりじりと少しずつ盛り上がっていく部分での、うねるような迫力。

緩徐な第3楽章は、ベートーヴェンならではの地を這うような重心の低い情感を湛えた音楽だが、松本和将のピアノは低音部に偏った和音であっても決してダンゴにならず、旋律の歌わせ方が実に滋味深い。

そして、終楽章。

ここで彼は、きわめて楽しそうに、笑みさえ浮かべてピアノを弾く。

ここには、軽やかな躍動感がある。

それは、上で紹介したコルトーのような、エスプリを感じさせる軽やかさとは、また少し異なる。

もう少し重みがあって、安定していて、それでいて鈍重にはならず、心躍るような、そんな軽やかさである。

ここでの松本和将の演奏を表すのに、バックハウスの弾くブラームスのピアノ協奏曲第2番の終楽章を評した、吉田秀和の言葉をもって代えたい。

「ふだん控え目で、けっして取り乱したところを見せない人が、急に軽妙な冗談を口にしたといった趣があり(中略)、より内面化された、よりデリケートな優雅さだ」

そして終楽章のコーダでは、それまでずっとどっしりしたテンポで来ていた分、ここでのテンポアップがきわめて鮮烈な印象を残す。

テンポが速くなっても、彼らの音楽は破綻せず、安定感が持続しており、素晴らしい。

充実した熱狂の渦の中、曲は終わりを告げる。

 

 

彼らの「ドイツ的」な味わいは、上に挙げた往年の名盤たちからも、実はあまり聴かれない類のものである。

加えて、今回のトリオは、どっしりした風格がありながらも、往年の巨匠にありがちなクセや弾き崩しはほとんど聴かれず、現代的な端正さをも備えていた。

その意味で、今回のトリオは、上記の名盤のどれよりも曲本来の良さをよく引き出した名演だった、と言ってもいいかもしれない。

今年最後の演奏会をこのような名演で締めくくることができるなんて、ありがたい限りである。

 

 


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