(小澤征爾と村上春樹のマーラー観) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想でなく、別の話題を。

今さらながら、村上春樹の「小澤征爾さんと、音楽について話をする」を読んだ。

 

 

さすがは村上春樹で、単なるマニアックな雑談のようでありながら、文全体の流れがうまい。

だいたいの流れとしては、

 

①小澤征爾と一緒に往年の演奏家のレコードを聴き比べながら、小澤征爾の「昔」について語る

②サイトウ・キネン・オーケストラのレコードを聴きながら、小澤征爾の「今」について語る

③小澤征爾の「昔」と「今」をレコードで聴き比べ、変化について語る

④小澤征爾がとりわけ大事にしているマーラーについて語る

⑤小澤征爾とオペラとのかかわりについて語る

⑥小澤征爾の後進の指導について(実際に体験した後に)語る

 

といったような感じである。

「レコードで音楽を聴くことが好きな小説家」である村上春樹が、小澤征爾との対談を、「マニアの人向きでない」形で発表するにあたっては、これ以上に適した流れはちょっと考えられない。

 

 

ただ、私のような音楽マニアにとっては、この流れそのものよりも、むしろその中で生起する小澤征爾の考え方だとか、ちょっとしたエピソードだとかのほうが、宝石のように魅力的である。

これは、きっと村上春樹としても了解済みのことで、上記のような流れも単に一定の枠組みとして設定したのだろう。

小澤征爾の考えやエピソードは、理路整然というよりは、むしろ感覚的、断片的に語られる。

ときには、村上春樹の誘導に乗るようにして語られ、またときには誘導に逆らうようにして語られる。

誘導に乗るでも逆らうでもなく、「そもそもそういうことは考えない」というときもある。

こういった断片的なところから、読者はたくさんの手がかりを得ることができる。

村上春樹の作る流れや誘導は、ややうますぎるところがあって、小澤征爾も「うーん、そうか」という感じで少し流されてしまっている感じもあるけれど、音楽家はもともと言葉を使う職業ではないし、これは仕方がないというか、それはそれで構わないと思う。

むしろ、読者のほうがそのことを了解し、注意深く読むのが大事だろう。

そのようにしたならば、小澤征爾やその周辺についてかなりの情報が得られる本であることは、間違いない。

 

 

小澤征爾はカラヤンとバーンスタインという二大巨匠に師事した稀有な人だが、カラヤンが音楽のディレクション(方向性)を意図的に作る、長いフレーズをこしらえるのに対し、バーンスタインはそういうことを意識せずに天性の感覚でやってしまう、と彼は感じたということ。

小澤征爾がボストン交響楽団でやりたかったのは、実はドイツ音楽であり、彼は団員にフランス風の弾き方から「イン・ストリング」というドイツ風の弓の弾き方に変えさせたということ。

こうしたい、といった明確な世界観のない、「エレベーターに乗ったらどこからともなく流れてくる」ような音楽が、いちばん恐ろしい種類の音楽だ、と彼は考えているということ。

こういったエピソードや考え方が、そこここにちりばめられていて、そのいずれもが、かけがえのない貴重なものとなっている。

その全てをここで挙げることは、到底できない。

 

 

ただ、その中にあって、マーラーに関する議論だけは、私にはちょっと気になってしまった。

細かいことなのだが。

下に本文の一部を引用する。

 

小澤 「そういう意味では、バッハからハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスといったドイツ音楽の骨太の潮流に、マーラーは単身反抗したということになると思います。十二音音楽が出てくる前に、ということですが」

(中略)

村上 「そういう意味では、マーラーは本当にワン・アンド・オンリーの人だったんですね」

 

これは、私は違うと思う。

彼らの会話の中で指摘されている、マーラーの理想主義的でありながらアングラ的な、聖俗ないまぜになったようなところや、ユダヤ的な異質性、世紀末ウィーン的な狂気などは、彼独自の個性として私も大いに賛成である。

R.シュトラウスの書法が多分に技巧的なのに対して、マーラーの書き方が「ナマ」な感じ、というのも分かる(言い換えると、R.シュトラウスが職人的、マーラーがディレッタント的、といったところか)。

マーラーの作曲法が、「まったく関係のないモチーフとか、場合によっては正反対の方向性を持ったモチーフとかが、同時進行的に出て」くるような、微に入り細を穿った複雑な書法、というのも全くその通りである。

しかし、だからといって、マーラーだけがオンリー・ワンの存在、ということにはならないと思う。

 

 

マーラーとR.シュトラウス、この2人は、ヴァーグナーからの影響をふんだんに受けながら、ロマン派の音楽をさらに進めて崩壊すれすれのところまで持っていった人たちだった。

例えば、マーラーが1890年代に書いた交響曲第2番「復活」など、当時随一の精緻な書法で書かれているけれど、同時期に書かれたR.シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」だって、各楽器の入り組んだ書法の精巧さではひけを取っていない。

また、より後年の1900年代に書かれたマーラーの交響曲第7番は、第2番よりもさらにずっと成熟した和声進行をもって書かれ、独特の妖しさを醸しているが、同時期のR.シュトラウスの「サロメ」だって、その濃厚な和声の狂気的な美しさは天才的としか言いようがない。

2人の音楽の性質は全く異なるけれど、その精緻さ、質の高さ、そして当時として最先鋭であったこと、さらにいうと巨大趣味や世紀末的退廃性にいたるまで、2人は同等といってよく、ある意味で「似ている」といってもいいくらいだと私は思っている。

 

 

それに、彼ら2人ほど熟してはいないにしても、同時期に他の地域でも、イタリアではプッチーニが「トスカ」や「ボエーム」を、ロシアではラフマニノフがピアノ協奏曲第2番や交響曲第2番と、スクリャービンがピアノ・ソナタ第4番や交響曲第3番「神聖な詩」を、チェコではヤナーチェクが「イェヌーファ」を、スペインではアルベニスが「イベリア」第1巻を、イギリスではエルガーが「ゲロンティアスの夢」を、北欧ではシベリウスが交響曲第2番を書き、ロマン派音楽は各国で花開いていた。

そしてもちろん忘れてはならないのがフランスで、この時期にはドビュッシーが「ペレアスとメリザンド」などで新しい音楽(印象派とも呼ばれる)をいち早く打ち立てていたし、若きラヴェルも傑作ピアノ曲を書き始めていた。

こういった後期ロマン派や印象派の各種の流れからの影響を目いっぱい受けながら、1910年代になると、ストラヴィンスキー(複調や変拍子、複雑なリズムや不協和音など)とシェーンベルク(無調)がそれらを結集させつつ音楽を新たな段階へ進めて、20世紀のいわゆる「現代音楽」が誕生したのだと思う。

その象徴的なできごとが、1911年6月13日パリでのストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」初演(あるいは1913年5月29日パリでの「春の祭典」初演でも良い)と、1912年10月16日ベルリンでのシェーンベルク「月に憑かれたピエロ」初演だろう(聴衆はこれらの音楽に面食らったという)。

逆に、ロマン派の音楽がまだ「現役」で多くの人を動かすパワーを持っていた時期の最後の輝きが、1910年9月12日ミュンヘンのマーラー交響曲第8番初演と、1911年1月26日ドレスデンのR.シュトラウス「ばらの騎士」初演といえるかもしれない。

前者では各界の要人がずらりと列席するなか大成功をおさめたし、後者では人気のあまりウィーンからドレスデンへの臨時列車が走ったほどで、2人とも名声の絶頂に達したという。

ともあれ、マーラーの精緻な対位法的書法や極限的な和声法は、R.シュトラウスのそれとともに、ヴァーグナーやブラームスから後進の「現代音楽」作曲家たちへの、大きな橋渡しとなったはずである。

その意味では、マーラーは西洋音楽史のメインストリームに位置する作曲家の一人だといえるし、彼のアングラ的な、あるいはユダヤ的な特徴のために彼を特別扱いするのは間違っていると思う。

村上春樹の「あの時代に大きな役割を果たした創作者は、カフカにせよ、マーラーにせよ、プルーストにせよ、みんなユダヤ人です」という発言も、(少なくとも音楽に関しては)あまりに極端である。

音楽史の本でも、マーラーを特異な存在として、他の作曲家から分けて扱っているものを私は見かけたことがない。

 

 

また、マーラーの受容史に関する話題もひっかかる。

引用すると、

 

村上 「で、結局のところ、現代のマーラー復興はヨーロッパではなく、アメリカがパワーバランスみたいになって行われたわけですし、そう言う意味ではマーラーなんかの音楽に関して言えば、本場ヨーロッパ以外の演奏家にアドバンテージが与えられた部分があるというか、少なくともハンディキャップはない、ということになりますよね」

 

これは、1960年代のアメリカでのマーラー・ブームに関する話として、正しい面もある。

ただ、もっと前、20世紀前半のヨーロッパでは、メンゲルベルク、ワルター、クレンペラーらがかなりの頻度でマーラーを振り、マーラー受容に大きな役割を果たした。

ニキシュやフルトヴェングラーだって、多くはないがそれなりの頻度でマーラーを取り上げていた。

1920年代には、ヨーロッパで最初のマーラー・ブームがあった(詳細はこちらなど)。

そして1930年代にはナチスの台頭により多くのユダヤ人がアメリカに逃れ、ワルターらはそこでもマーラー普及に努めた。

ヨーロッパでのこうした動きがあってこそ、戦後のアメリカでのマーラー復興があったわけで、上記の村上春樹の発言は、そのことを軽視しすぎているきらいがある(ナチスによるマーラー受容の断絶については本文中で少し触れられているけれど)。

小澤征爾と村上春樹の対談において、マーラーについてはメインのことではないのかもしれないが、それでもけっこうな紙面を割いて論ぜられているし、私としてもこだわりたいところなのであった。

 

 

話が、つい長くなった。

彼らのマーラー論につい噛みついたけれど、この本自体の価値に異論はない。

小澤征爾の素直さ、正直さ、頑固さ、そしてポジティブ・シンキング―いろんなことが経験できて本当に楽しかった、病気もしたけれど、これからもまだまだこんなことがしたい、まだ成長もできるはず、といったような―は、彼の愛すべき「才能」だと思う。

 

 


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