(坂本龍馬 没後150年の日) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。

今日は、坂本龍馬が暗殺されてから、ちょうど150年たった日である。

正確には、旧暦の11月15日であり、新暦では12月10日のようだけれど、覚えにくいので11月15日で覚えている。

この日は、龍馬の誕生日でもある(ただし、こちらも旧暦)。

つまり、今日は龍馬の生誕182年の日でもあるということ。

 

 

坂本龍馬は、もう長らく私にとってのヒーローである。

龍馬のみならず、桂小五郎も、高杉晋作も、西郷吉之助も、大久保一蔵も、みな天才だと思う。

「事実は小説より奇なり」という言葉は真実だと思うけれど、それが最も顕著なのが、この幕末・明治の時代ではないだろうか。

当時、日本は鎖国していたため、日本が世界そのものだった。

平和に暮らしていたときに、黒船が突如としてやってきたのである。

現代でたとえると、宇宙人がスペースシャトルの何倍も大きな「黒宇宙船」に乗り突然地球にやってきて、不平等条約を要求してくるようなものである。

そのとき、龍馬は18歳くらい、小五郎は20歳くらい。

ただの、剣術修行中の若者である。

俺たちがどうにかしなければ、とこのとき思ったかどうか分からないが、そこから奔走して、彼らが30歳代前半のときに、幕府を倒して諸藩を統一し、新たな中央政権を樹立してしまったのである(龍馬は、その直前に暗殺されてしまったけれど)。

現代でたとえると、「黒宇宙船」でやってきた強力な宇宙人たちに対抗するため、若者たちが多数の国家を統一して中央集権地球政府を樹立する、といったところか。

そんなフィクションをもし読んだら、私は「まぁフィクションだから」と冷静になってしまうたちなのだが、これが史実なのだから驚きである。

若者たちが、なぜこんなことを成し遂げることができたのか。

不思議というほかない。

 

 

明治維新は、革命ではなく政権交代だった、とよく言われる。

そのあたりの細かな定義はよく知らないのだが、確かに上記の若者たちは、身分がとりわけ高いわけではなかったとはいえ、庶民ではなく武士の出身だった。

庶民が起こしたわけではないので、革命とはいえないかもしれない。

しかし、だからこそ、一般的な革命ほどの大きな被害は出なかった(もちろん、戊辰戦争による被害は無視できないものだけれど)。

また、革命でなく政権交代であるにもかかわらず、トップダウンの方式で民主化されていった(憲法制定、議会制など)。

トップダウンであるため、この社会構造の変化はややゆっくりめであり、その「なだらかさ」も被害を少なくした一因ではないだろうか。

私はこういったことについて全くの素人なので、確かなことは言えないが、幕末・明治の時期の社会の変化は、比較的うまくいった方なのではないか、という印象を持っている。

私がその立役者たちのファンなので、ひいき目に見ているのかもしれないが。

龍馬は、「アメリカの大統領は、一人の家政婦の生活のことまで配慮する、なぜなら彼女たちが投票して大統領を選ぶからである」ということに大いに感激し、幕府や将軍との違いに唖然としたという。

明治維新には色々と問題はあったにせよ、こうした若者たちの強い思いが根底には存在していたために、トップダウンながらどうにか頓挫せずうまく進んだのではないだろうか。

 

 

ただ、彼らの果たした役割については、一般的な認識は近年変わってきているようである。

坂本龍馬も吉田松陰も、日本史の教科書から削除されそうとのことである(こちらなどを参照されたい)。

確かに、彼らは直接的には日本史の教科書に載るようなことをしていないのかもしれない。

どちらかというと、裏方ではある。

ただ、教科書から彼らの名がなくなってしまうのは、何となく寂しい気もする。

教科書から名が消えても、龍馬が有名でなくなるということはさすがにないとは思うけれど。

 

 

以前、私は毎年11月15日になると、霊山護国神社にある龍馬の墓にお参りに行っていた。

最近はほとんど行けていないし、今日も行けなかったが、代わりにここで哀悼の意を表したい。

 

 


音楽(クラシック) ブログランキングへ

↑ ブログランキングに参加しています。もしよろしければ、クリックお願いいたします。